どうも、ノンジャンル人生です。現在「けものフレンズ」にめっちゃハマっています。アニメ追うの結構苦手なんですけど、抵抗なく見れてとても良いです。ロードムービーものっていいよね…。
さて今回は先日プレイしたファミコン版『FINAL FANTASYⅢ』についての話。自分が今まで遊んだRPGは古くてもSFCのものだったので、そういった意味では今までで最も過去のRPGに触ったことになります(ちなみにVCです)。
名作と名高いFINAL FANTASYⅢですが、実際に遊んでみると今と昔の評価の違いと言うものを感じました。なので、そういった面も含めて紐解いていこうと思います。
①名作として語り継がれるもの、そうでないもの
FF3といえば「名フィールド曲・悠久の風」「ジョブチェンジ」「ナーシャ・ジベリの飛空艇プログラム」「長過ぎるラストダンジョン」などが有名でしょう。実際にプレイしてみると確かにそういったところは特に印象的でした。しかし、それがすべてではないのがFF3です。
例えば黒魔道士。FFおなじみの職業ですが、歩行のドット絵が可愛らしく序盤は戦闘キャラとして愛用していました。しかし中盤前衛キャラの連続ヒットが伸びたことで、火力と速度不足に悩みお役目御免。泣く泣く外しましたが、終盤魔人が加入した時の黒魔法が想像以上に優秀で驚きました。
ハインの城といえばハインのバリアチェンジが有名ですが、それより印象的だったのは道中の混乱連発。会う敵会う敵混乱を使う上、前衛ヒット数の増加と相まって、恐ろしい目に会いました。
FF3を実際にプレイすると、こういったあまり知られていないエピソードが山のようにあります。しかしゲームは時間が経つに連れ、情報が削ぎ落とされた状態で評価されていくのだと実感しました。そういった意味を踏まえると、世間が名作や駄作として扱う作品でも、自分でプレイすることで新たなる発見があるのかもしれません。
②ユーザビリティは後発作品の方が進歩している
時の経過とともにゲームは良い悪いのカテゴリ分けされていきますが、例え世間的評価の低い作品でも、古い作品に勝っている部分があることは多いです。そのひとつがユーザビリティ(プレイの快適性)です。例えば装備の付け外しに関しては、FF3と後発のFFを比べたら天地ほどの快適性の差があります。しかしFF3もそれ以前の作品の悪い点を改良してこの状態になっているのです。
古いゲームは、その時期のゲームの快適性によって評価が変動します。その時の基準、今の基準はまったく違うものです。なので「名作らしいから完璧なゲームのはずだ!」と思い込んでしまうと、がっかりすることもあるかもしれません。時代も含めて名作なのです。
③レトロだから良いのではなく、ミニマムデザインだから良いのかもしれない
「FC音源は今にはない味がある」「昔のゲームにはシナリオに想像の余地があった」というような話は、世間ではよくされていると思います。しかしこれに関しては、それだけで話を終わらしてはいけないのではと個人的に思いました。
FF3は表現の制限下で制作されています。PS4で発売されたFF15のように、オープンワールドでもAIを搭載しているわけでもありません。
しかし最小限の表現は、重要な部分をはっきり見せられるという強みがあります。3音の「悠久の風」はメロディラインが印象的ですし、グラフィックの色数が少なくても造形や色合いにこだわりが見えます。シナリオは確かに展開が早急かもしれませんが、序破急をしっかりと守っています。
こうった最小限の要素で構成されたことで、ゲームコンセプトをプレイヤーにダイレクトに使えられたことこそが、レトロゲームの真の強みではないかと思います。言うなればミニマムデザイン。古いから良いのではなく、構成する枠の小ささが、ゲームの良さを引き立たせた要因なのではないでしょうか。
と、こんな感じです。洗練されてないゆえに辛い部分もありましたが、FF3はとても良いゲームです。ゲームを作る身として、プレイを通していろいろ勉強になりました。ではでは。
2017年3月24日金曜日
2016年12月8日木曜日
『ロマンシングサ・ガ』、無事完結!!
うおおおおおおおお!!!サルーインぶっ飛ばしてきたぞ!!!ロマサガ1完!!— ノンジャンル人生 (@nongenre_zinsei) 2016年12月7日
ロマサガ1、もうね、とにかくいい意味でも悪い意味でも規格外なゲームでした。あらゆる方向に詰みポイントがある無茶なゲームバランスだけど、あらゆる情報やバグやリセットを活用すると程よいバランスになる。当時は攻略本や噂も含めて、ひとつのゲームになっていたのかも。— ノンジャンル人生 (@nongenre_zinsei) 2016年12月7日
ということで、ロマサガ1をクリアしてきたノンジャンル人生です。大変面白かったです。問題点は山のようにあるものの、本気で攻略し甲斐があるゲームでした。RPGで結構本気で挑めるものってそこまで多くはないんだよね。なんだかんだで誰かが攻略情報まとめてしまっているし。だけどロマサガ1はそれがあるだけじゃ全然足りない。あらゆる使えるものを使い、自分で考えて、やっとまともに戦える。だからこそ本気で「攻略」した達成感があるんだ。— ノンジャンル人生 (@nongenre_zinsei) 2016年12月7日
最終パーティはこんな感じ。括弧内は主力武器。
アルベルト(レフトハンドソード・ヴェルニーの弓・聖杯)
シフ(ガーラルスピア・ヴェルニーソード)
クローディア(エリスの弓)
グレイ(ウコムの矛)
キャプテンホーク(大地の剣・ガーラルソード・ヴェルニーの弓)
MAX6人ですが、5人で冒険しました。たしかミンサガプレイ時も似たようなパーティだったかも。初期は列崩れで移動を繰り返していましたが、みなポジションに合わせて近中遠距離武器を用意したことで、テンポよく戦うことが出来ました。
術はいやしの水以外全然使ってないですね。それどころか聖杯あれば終盤まで必要ないレベル。術の性能が1番もったいなかったなーと思ってプレイしていました。やっぱり術メインキャラ育てたかったよママン。威力もそうだけど、戦闘が速攻で終わるからバフデバフも使い所が少ない。
ダンジョン内にアホみたいに群がる雑魚シンボルは、「こういったゲームだから仕方ないよね」ってことで慣れましたw序盤は戦闘回数抑えるためにセーブリセットを多用していましたが、だんだんいい加減になってカクラム砂漠の地下とジャングルを三度参りするハメに。
あとは前半あんなに不足したのに、後半大量に手に入る金、金、金!!最初は取り逃がさぬよう立ち回っていましたが、結局ジェル余らせました。このいいかげんなバランス感覚も実にサガらしい。
こう書いているとなんとなく分かるかもしれませんが、ロマサガ1ってRPG制作でやっちゃだめなことのオンパレードなんですよね。ユーザビリティの低さ、無駄な手間、理不尽な要素、説明不足、気付きようがないフラグ、整合性のなさ、ゲームを詰ませるバグなどなど。人によってはダメだって言うのも分かりますし、自分もプレイしていて腹立った瞬間もありました。でも恐ろしいことに、それらの悪い点を補うほどの楽しさがあるんです。(もしかしたらロマサガ1があったからこそ、RPGのユーザビリティの礎が出来たのかも)
ロマサガ1は冒険のロマンがめちゃくちゃ詰め込まれたゲームです。
「次はどこ行こうか?」「ゲー!またこいつかよ!勝てるか?」「あ、イベント終了しちゃったけど、まぁいいか」「よっしゃあ!!武器がめっちゃ成長した!」「ダメだ詰んだー!やり直しだ!」
こんな事を繰り返して、プレイヤーが道を切り開いていくゲームです。とてもゲームらしいゲームであり、冒険心をくすぐられます。だからこそ多くのファンを虜にしたのでしょう。
ということでロマサガ1無事完結です!積みゲーがまだまだあるので、二週目は気の向いたときにでも。いや~、良かったです。
なので、この経験はぜひ自作に活かしたいと思います。それでは。自分が今作っているゲームが影響受けているのが、ミンサガ、アンサガ、ネフェシエル、FFXIIで、ロマサガ1はそれらの原点・源流なんだよね(FFXIIは河津P)。やっぱりプレイできて幸せだったわ。— ノンジャンル人生 (@nongenre_zinsei) 2016年12月7日
2016年11月27日日曜日
不朽の名作にして衝撃作『ロマンシングサ・ガ』を始めた。
どうも、ノンジャンル人生です。自身の考えのまとめはブログに書いておこうと思っているのに、最近はツイッターばかりなので、一度考えを改めたいところです。
さて、今週月曜日New3DSのバーチャルコンソールに、突如7タイトルが追加されました。どうやら、スーパーファミコンの誕生日記念らしいです。その中に、スーパーファミコンの名作『ロマンシングサ・ガ』『タクティクスオウガ』がありました。…勿論速攻で買いました。
タクティクスオウガは現在未プレイなのでまだ保留していますが、ロマサガは現在プレイを進めており、だいたい半分くらいは進めたかな?というくらいです。ものの見事にハマったので、今回はこちらを紹介したいと思います。(ちなみに私はリメイク作をプレイ済みです)
『ロマンシングサ・ガ』は旧スクウェアがSFCに出したRPGであり、一般的に知られるフリーシナリオの原点です(それ以前は不明・・・PCゲー?)。GBで出ていたサガシリーズとは異なり、8人の主人公の中からひとり選び、自由に冒険することが出来るのが特徴です。冒険で誰を仲間にし、どんな順序でダンジョンやイベントをこなすかはプレイヤーに委ねられています。
戦闘はシンボルエンカウント式で、サイドビューかつ成長も戦闘後に能力がランダムで上がるというもの。素早さの値で行動順が決まるオーソドックスなターン制バトルですが、その他の要素があまりにも規格外で、ドラクエやFFが作り出したRPGの「あたりまえ」に囚われない、当時にとって全く新しいルールを打ち出しました。
一方で戦闘を繰り返す度に敵が強くなり、育成に失敗すると敵が強くなりすぎてゲームが詰むことがあります。イベント発生条件も戦闘回数で決まっており、序盤に発生したシナリオが、いつの間にか消えていたなんてこともざらです。これが理由で、「ロマサガは難しいゲーム」であると言われています。これはこの後のシリーズの伝統になりますね。
それだけでなく、ロマサガにはゲームバランスのピーキーさとバグの多さという問題もあります。豊富なわりに役に立たない「術」、一度外すと累積したレベルがリセットされる武器(代わりに複数持てます)、ほぼノーヒントに近いほど見つけづらいイベントフラグの数々、あまりにも多すぎ&追尾するせいで狭い道を確実に塞ぐモンスターシンボル、重要アイテムなのに装備効果がまったく発揮されないものがあるデステニィストーンのバグなどなど・・・。
そういったRPG慣れした人でもやりにくい要素が多々あるにも関わらず、強力なファンが付いたのは何故なのか。ずっと疑問に思っていましたが、実際触ることで気付くことがありました。このゲーム、中毒性が異様に強いのです。
今年Twitterでよく耳にした言葉が「パワーワード」です。誰かが放ったインパクトのある言葉がSNS上で拡散され、人々を動揺させつつも次第に流行になっていく現象を何度か目撃しました。サガシリーズはその傾向が他のRPGより遥かに強く、もちろんロマサガもシーンも相まって衝撃的なレベルです。
殺しても うばいとる
な、なにをする、きさまらー!
金!金!金!騎士としてはずかしくないのか!
てめえが つよすぎるんだよ 大女め!
ギャー トカゲだー さよなら
…もうね、本当に凄いレベルですよ。一応リメイク作では多少マイルドになっているものもありますが、
見つけたよ。誰にも渡さないよ。これで大金持ちだよ!アッ、アッー!(崖の上から転落)
など本家を凌ぐものもあります。
子供の頃は、よりシリアスで格好良いものが正義なように感じていましたが、ロマサガはそう言ったものに囚われず、「ゲームの世界の言葉はより自由でいいんだよ」と教えてくれているように思えます。現にそういったインパクトのある言葉があることが楽しめている要因なんですよね。
音楽もまた、本作を印象付ける理由の1つ。伊藤賢治氏が手がけるドラマチックな戦闘BGMは、1000回近くこなす必要がある戦闘へのモチベーションを高めてくれます。そして効果音も聞いていて気持ちよいものが多く、戦いの中毒性を更に高めてくれます。ロマサガのキツイ部分も許してしまえるのは、やっぱり音の影響が大きいと思います。あ、あと世界一カッコイイ下水道とよばれるBGMも人気の理由のひとつですねw
そして本作の一番の魅力はこのゲームの持つロマンであると思います。プレイヤーの知らないところで世界が動いており、仲間にならなかった者達もそれぞれ冒険しています。サルーイン復活まで世界で起こることを、プレイヤーが選んだ主人公を通して目撃することは、与えられたストーリーを追うタイプのRPGではなかなか体験できません。そこまでの道のりも手取り足取り教えてもらうのでもなく、プレイヤーを徹底的に突き放します。だからこそどうすれば攻略できるのか徹底的に考えていく必要があるのです。
これこそ、ロマンを現在進行形で追っていく「ロマンシング」という言葉の意味だと私は思います。いいですよね、このタイトル。
まぁここまで言っていますが、今回は最初から攻略情報をあてにしていたりします(汗)。あまりにも複雑なフラグとバグ地雷がめっちゃあるんで許してくれ…。2は頑張って自力で進めれたらいいな(遠い目)。
それはさておき、本作がゲーム界隈に残した爪痕もめちゃくちゃでかいです。リメイク版の『ロマンシングサ・ガ ミンストレルソング』はロマサガ1の不評・未完成な要素をほとんどカバーした上で、それまでのサガシリーズの要素を取り入れた集大成となりました。シリーズ自体もスクウェアの看板タイトルとなりましたが、サガSG発表まで長い空白があったのも事実。どんなものが出来るのか、多くの人達が見守っています。果たして…?
フリゲ界隈でもサガの影響は特段大きいです。もぐらゲームスさんに記事を寄稿した『Time Flow』や、星をみるひととの間の子『ロマンシングステラバイザー』、VIPRPGでも『リュート』や『ヨロズ英雄譚』(こちらはサガフロ色強め)を始め沢山のサガオマージュ作があります。サガに影響を受けたと公言する作者さんも沢山いますし、もちろん自分だってそうです。ゲームを作らない方でも、サガを愛するファンは沢山います。
さて、今週月曜日New3DSのバーチャルコンソールに、突如7タイトルが追加されました。どうやら、スーパーファミコンの誕生日記念らしいです。その中に、スーパーファミコンの名作『ロマンシングサ・ガ』『タクティクスオウガ』がありました。…勿論速攻で買いました。
タクティクスオウガは現在未プレイなのでまだ保留していますが、ロマサガは現在プレイを進めており、だいたい半分くらいは進めたかな?というくらいです。ものの見事にハマったので、今回はこちらを紹介したいと思います。(ちなみに私はリメイク作をプレイ済みです)
◆ロマンシングサ・ガとはどんなゲームなのか
『ロマンシングサ・ガ』は旧スクウェアがSFCに出したRPGであり、一般的に知られるフリーシナリオの原点です(それ以前は不明・・・PCゲー?)。GBで出ていたサガシリーズとは異なり、8人の主人公の中からひとり選び、自由に冒険することが出来るのが特徴です。冒険で誰を仲間にし、どんな順序でダンジョンやイベントをこなすかはプレイヤーに委ねられています。
戦闘はシンボルエンカウント式で、サイドビューかつ成長も戦闘後に能力がランダムで上がるというもの。素早さの値で行動順が決まるオーソドックスなターン制バトルですが、その他の要素があまりにも規格外で、ドラクエやFFが作り出したRPGの「あたりまえ」に囚われない、当時にとって全く新しいルールを打ち出しました。
一方で戦闘を繰り返す度に敵が強くなり、育成に失敗すると敵が強くなりすぎてゲームが詰むことがあります。イベント発生条件も戦闘回数で決まっており、序盤に発生したシナリオが、いつの間にか消えていたなんてこともざらです。これが理由で、「ロマサガは難しいゲーム」であると言われています。これはこの後のシリーズの伝統になりますね。
それだけでなく、ロマサガにはゲームバランスのピーキーさとバグの多さという問題もあります。豊富なわりに役に立たない「術」、一度外すと累積したレベルがリセットされる武器(代わりに複数持てます)、ほぼノーヒントに近いほど見つけづらいイベントフラグの数々、あまりにも多すぎ&追尾するせいで狭い道を確実に塞ぐモンスターシンボル、重要アイテムなのに装備効果がまったく発揮されないものがあるデステニィストーンのバグなどなど・・・。
そういったRPG慣れした人でもやりにくい要素が多々あるにも関わらず、強力なファンが付いたのは何故なのか。ずっと疑問に思っていましたが、実際触ることで気付くことがありました。このゲーム、中毒性が異様に強いのです。
◆プレイヤーの頭を本気で殴ってくるくせの強い要素たち
今年Twitterでよく耳にした言葉が「パワーワード」です。誰かが放ったインパクトのある言葉がSNS上で拡散され、人々を動揺させつつも次第に流行になっていく現象を何度か目撃しました。サガシリーズはその傾向が他のRPGより遥かに強く、もちろんロマサガもシーンも相まって衝撃的なレベルです。
殺しても うばいとる
な、なにをする、きさまらー!
金!金!金!騎士としてはずかしくないのか!
てめえが つよすぎるんだよ 大女め!
ギャー トカゲだー さよなら
…もうね、本当に凄いレベルですよ。一応リメイク作では多少マイルドになっているものもありますが、
見つけたよ。誰にも渡さないよ。これで大金持ちだよ!アッ、アッー!(崖の上から転落)
など本家を凌ぐものもあります。
子供の頃は、よりシリアスで格好良いものが正義なように感じていましたが、ロマサガはそう言ったものに囚われず、「ゲームの世界の言葉はより自由でいいんだよ」と教えてくれているように思えます。現にそういったインパクトのある言葉があることが楽しめている要因なんですよね。
音楽もまた、本作を印象付ける理由の1つ。伊藤賢治氏が手がけるドラマチックな戦闘BGMは、1000回近くこなす必要がある戦闘へのモチベーションを高めてくれます。そして効果音も聞いていて気持ちよいものが多く、戦いの中毒性を更に高めてくれます。ロマサガのキツイ部分も許してしまえるのは、やっぱり音の影響が大きいと思います。あ、あと世界一カッコイイ下水道とよばれるBGMも人気の理由のひとつですねw
◆タイトルが冠する「ロマンシング」の意味
そして本作の一番の魅力はこのゲームの持つロマンであると思います。プレイヤーの知らないところで世界が動いており、仲間にならなかった者達もそれぞれ冒険しています。サルーイン復活まで世界で起こることを、プレイヤーが選んだ主人公を通して目撃することは、与えられたストーリーを追うタイプのRPGではなかなか体験できません。そこまでの道のりも手取り足取り教えてもらうのでもなく、プレイヤーを徹底的に突き放します。だからこそどうすれば攻略できるのか徹底的に考えていく必要があるのです。
これこそ、ロマンを現在進行形で追っていく「ロマンシング」という言葉の意味だと私は思います。いいですよね、このタイトル。
まぁここまで言っていますが、今回は最初から攻略情報をあてにしていたりします(汗)。あまりにも複雑なフラグとバグ地雷がめっちゃあるんで許してくれ…。2は頑張って自力で進めれたらいいな(遠い目)。
それはさておき、本作がゲーム界隈に残した爪痕もめちゃくちゃでかいです。リメイク版の『ロマンシングサ・ガ ミンストレルソング』はロマサガ1の不評・未完成な要素をほとんどカバーした上で、それまでのサガシリーズの要素を取り入れた集大成となりました。シリーズ自体もスクウェアの看板タイトルとなりましたが、サガSG発表まで長い空白があったのも事実。どんなものが出来るのか、多くの人達が見守っています。果たして…?
フリゲ界隈でもサガの影響は特段大きいです。もぐらゲームスさんに記事を寄稿した『Time Flow』や、星をみるひととの間の子『ロマンシングステラバイザー』、VIPRPGでも『リュート』や『ヨロズ英雄譚』(こちらはサガフロ色強め)を始め沢山のサガオマージュ作があります。サガに影響を受けたと公言する作者さんも沢山いますし、もちろん自分だってそうです。ゲームを作らない方でも、サガを愛するファンは沢山います。
ということで後半戦もガッツリ挑みたいと思います。VCは明日また6作来るそうなので、ロマサガ2・3が来るといいな…。ではでは。サガシリーズのような自由な冒険を楽しめる長編フリーゲーム!— もぐらゲームス (@moguragames) 2015年10月31日
フリーシナリオRPG『Time Flow』。あなたが選び取る物語と、名作から受け継がれた冒険の楽しさ - もぐらゲームス https://t.co/Y9110uVves pic.twitter.com/HJkQaG82uU
2016年6月21日火曜日
『FINAL FANTASY XII』②:シナリオの問題点を考察する
どうもノンジャンル人生です。今日は前回に続いて『FINAL FANTASY XII』の話をします。今回はシナリオの話ですが、あくまでも個人的見解です。FFXII自体様々な解釈ができるよう作られているとスタッフは言っているので、あんまり鵜呑みにせず、プレイヤーそれぞれが評価を決めるのが正しいと思います。
FFXIIの評価で、ネット上では「シナリオがつまらない」という話を聞くことが多かったです。しかし皆が口々にそう言うものの、具体的な話があまり出てきません。有名な「ヴァンではなくバルフレアが主人公」と「脈絡のない『バルフレアーーー!』の叫び」という話のみが先行し、シナリオの問題点の考察があまりなされていないように感じていました。(個人ブログや掲示板によってはいろいろ考察されていますが、全体の見解は曖昧なままです)
なので今回は、FFXIIのシナリオの特徴を書きつつ、何が本作の物語の持ち味で、何が問題だったのか思うところを書き連ねてゆきます。
①戦記物としてのFINAL FANTASY
FFのシナリオといえば、VIIやXのように星の命運をかける規模の戦いを思い出す人もいるでしょう。誰かが命を投げ出して、大切なものを救うシーンを思い出すかもしれません。
本作ではそういった「FFらしさ」とは違ったスタイルをとっています。舞台は星全土ではなく、ふたつの帝国に挟まれた「小国ダルマスカ」。アルケイディア帝国にも行けますが、あくまでも領土の一部です。イヴァリースという世界でも、かなり狭い範囲がFFXIIの舞台です(マップは広いですが)。
またOPシーンを見て分かる通り、FFXIIはファンタジーの戦争を取り扱っています。チョコボによる騎馬隊、兵器と魔法による集団の攻防、こういったシーンは従来のシリーズではあまり描かれていません。悪しき「帝国」が存在しても、あくまで小さな組織の反撃が描かれる程度です。そのかわり、登場人物が世界に与える影響は非常に大きく、ヒーロー級同士の戦いがそれまでのFFの特徴です。一方FFXIIは個々の役割は大きくなく、登場人物達の活躍も大きな歴史の一幕に過ぎません。名前もない多くの人物が泥臭く戦ってゆき、イヴァリースの歴史を作り上げていっています。
そういった意味では、この物語に主人公はいません。歴史から見ればオンドール公が主人公かも知れませんし、ラーサーこそ主人公かもしれません。そういった中でアーシェ達の冒険に巻き込まれただけの普通の人間である「ヴァン」が主人公なのは、FFXIIの特徴を捉えていると思います。
②政治的駆け引きと陰謀にまみれた物語
FFXIIの物語は主人公パーティだけのものではないことが分かったと思います。実際にプレイすると主人公サイドの話だけでなく、物語の合間合間に帝国ソリドール家やジャッジ内での確執が描かれます。それがだんだんと膨れ上がり、最終的には帝国の暴走へと発展します。統一された悪の組織ではなく、それぞれが自分の思想を持ち、それが織り交ざって物語を生み出しています。
帝国だけではありません。例えばアーシェの協力者となるオンドール公も、アーシェの考えの裏をかきながら行動します。アルケイディア帝国と敵対するロザリア帝国も、ダルマスカの動乱へ秘密裏に加入します。
さらに後半ではある強大な種族達がアーシェ達に力を貸します。ネットでは彼らが諸悪の根源で本来ラスボスのポジションではないかと囁かれていますが、力を貸すだけで物語にはほとんど加入しません。しかしながらアーシェを利用し、自分たちの目的を成そうとします。
こういったように、いろんな人物の思惑が複雑に絡み合い、大きな物語を作り上げています。
・・・あれ?ここまで聞くと、FFらしくはないけど面白そうな物語じゃない?と思う人もいるでしょう。派手さはないが綿密で徹底している、それがFFXIIです。ならば何故、「シナリオが悪い」と言われるのでしょうか?
③滞ってしまったパーティメンバーの「主体性」
前回FFXIIのプロデューサー松野泰己氏が退社したことを書いたと思います。その後サガシリーズの河津秋敏氏がプロデューサーを努め、開発延期を重ねたFFXIIを完成にさせました。シナリオは松野泰己氏が残したプロットを元に書いたとアルティマニアには綴られています。ネットでは根も葉もない噂が錯綜していますが、いちプレイヤーとして見るにFFXIIの物語の質が変わるのはレイスウォール墓所~リヴァイアサン艦隊での決戦後の時点です。それまでは登場人物同士が主体的に動き、感情を露わにしてぶつかり合っていますが、ガリフ以降は誰かに言われて◯◯へ行くという、いわゆる「お使い」的なイベントが増えてゆきます。イベント量もはっきりと減っており、「アルティマニアオメガ」で10章に分けられたシナリオの半分をここまでで消化しています。ページ数で言えば57:60…。しかしダンジョン数・フィールド数は後半の方が明らかに多く、だいたい2/3程度は残っていたはずです。(もしかしてここまでで、何らかの「時間切れ」になってしまったのではないでしょうか…?)
同時に、プレイヤー達とそれを邪魔立てする敵との戦いもかなり少ないです。ガリフ以降自分の意志で戦う敵は神都ブルオミシェイス・ドラクロア研究所・大灯台頂上・最終決戦…これだけです。後はほとんどモンスターなので、シナリオを盛り上げるために必要な「ぶつかり合い」が全く足りません。
シナリオで最も大切な物は「葛藤」だと言われています。これは心の中で悩むことではなく、主人公が目的を達成しようとした時に障害が現れることを指します。主人公達が能動的に動くも問題が発生し、それをどうにか解決しようとすることで、物語が観客の心を惹きつけるのです。しかしFFXIIの後半は主人公たちが受動的であり、彼らを邪魔立てする存在も僅かです。それゆえ見る側を揺さぶること無く物語が終わってしまいます。
この結果、お使いを頼まれ大きなイベントの用意されていないダンジョンをいくつも渡って、ようやく到達した場所で、またお使いを頼まれるという、致命的な問題が発生します。シドの大立ち回りや大灯台頂上のせめぎ合いなど、本来であれば密度の高いシナリオの部分もあるのに、後半のイベントの足りなさがそれを薄めてしまっています。
実はこの問題、プレイ方法によっては解決することが出来ます。それはプレイヤーが主体的に探索やモブハントをすることです。本作は本筋に関わらない一般キャラクターの台詞までしっかりと練られているので、寄り道をすればするほど物語が充実してゆく構造になっています。キャラクター達に足りない主体性をプレイヤーが自らの冒険で補うことでFFXIIは完成してゆくのです。本作の海外評価の高さの要因はこれではないでしょうか?実際自分も二周目にそういった遊び方をして時は、FFXIIの評価が逆転しました。ただ、それは多くの人がFFに望んだものではありませんでした(どちらかと言えば、国内ではその役割はドラクエがそれを担っています)。
④個人的にこうした方が良かったと思うこと
FFXIIでは重要人物なのに見せ場が足りずに終わってしまったキャラクターが何人かいます。序盤にライバル敵ポジションで登場したのに、その後はモブ扱いで退場してしまった「バッガモナン一味」。帝国の象徴であるのに、結局主人公達と戦わなかったジャッジマスターの「ドレイス」と「ザルガバース」。ロザリア帝国唯一の重要人物であるのに、出番がたった二箇所しかない「アルシド」。そしてゲームロゴになっているのにもかかわらず、政治的駆け引きによって雁字搦めになってしまったジャッジマスターの「ガブラス」。
特にガブラスはヴァン、アーシェ、バッシュに因縁が深い人物であり、物語の引き金&幕引きの役目を与えられた人物です。FFXIIの中核にいる人物であるはずなのに、「犬」扱いされて物語の外にはじき出されてしまっています。これほど勿体無いことはありません。例えば終盤大灯台でガブラスがヴァンとアーシェのヘイトを貯めるシーンがあります。あれを早い段階で用意出来たのならば、彼らの心境をもっと揺さぶれたはずです。
本来活躍するはずだった彼らに役目を与えることで、物語は盛り上がりを得られたのではないか…と思ってしまいます。具体的に挙げるならば、神都でガブラスがラーサーを連れて帰る時点でヴァン達との初顔合わせ、帝都までの旅路でバッガモナンとの再戦、主人公達を「測る」ためにザルガバースが単独で戦いを挑むシーンはあっても良かったと思います。案を考え始めるときりがありませんので、とりあえずこんなところで。
例の種族関係も、もう少し違った役割があっても良かった気も。最終的にアーシェは彼らに反旗を翻したので、その後敵対関係になっても道筋的にはおかしくないでしょう。もしくは帝国側についた「ヴェーネス」をより恐ろしげに描かれていても良かったのかもしれません(どうしても主体がヴェイン&シド>ヴェーネスだったので)。ただ帝国とダルマスカの戦いがメインであるため、扱いが難しそうです。
一方主人公であるヴァンがヒーロー然していたら良かったとは個人的には思えません。彼がもっと自分の意志で動いて物語を動かしてゆく必要はありますが、もし彼がレイスウォールの血を引き継いでいる設定だとしても、本筋の薄さの解消には繋がらないはずです。また、そういう風に従来のFFに近づけても、彼やイヴァリースの持ち味を弱めてしまう可能性もあります。
(あ、「バルフレアー!」はよく分かんないですw 初回は大して気にしませんでしたし、あれには深い意味はなさそうです)
はぁ…疲れた。長々と書いてしまった。ズラーッと書いてきましたが、別に自由気ままな見解ですので、初プレイの人はあまり真に受けず、自分なりに楽しんでください。…まぁぶっちゃけFFXIIの大きな魅力はシナリオ以外のところにあるので、話を追うことをメインとしなければ楽しめるのではないでしょうか?リマスター版は追加シナリオを今のところ予定していないそうですが、発売日が来年のいつ頃か決まってないこと、まだ開発中であるそうなので、僅かな奇跡を期待しつつ、次の情報を待ちたいと思います。(FFXIIの膨大な情報量を持ってして、整合性がとれるかどうかの問題からは目を背けつつ…)
ではでは。
ではでは。
2017.7追記:なかった\(^o^)/
2016年6月20日月曜日
『FINAL FANTASY XII』:リマスターを機に、生まれるのが早すぎた正統派ファンタジーを紐解く
みなさんこんばんは、ノンジャンル人生です。
最近フリーゲームの話題を書けなくてモヤっとしてますが、どうしてもそういう時期は出来てしまうものです。(それでも面白そうなフリゲはしっかり目をつけています)
さて今年のE3が終わりました。正直今回は期待していなかったんですが、『ゼルダの伝説 ブレスオブワイルド』が想像以上に良く、収穫があった回でした。
ただしこの記事で語るのはそのゲームではありません。E3開催数日前に発表された『FINAL FANTASY XII THE ZODIAC AGE』の話です。
FINAL FANTASYXIIは2006年に発売されたFFシリーズの第12作目で、本作はそのPS4リマスター版。「イヴァリース」と呼ばれる架空の世界を舞台に、小国ダルマスカとアルケイディア帝国で起きた動乱の裏側を描いています。ファンタジー色が高い美しい世界観であると同時に、初期ディレクターの松野泰己氏の作風である陰謀や政治色の強さが特徴です。
オリジナル版は200万本以上のセールスを叩き出しましたが、これまでネット界隈では「評価の別れるFF」として語られておりました。シームレスバトルの採用、ガンビットと呼ばれる半自動バトルシステムの採用、作曲家が植松伸夫氏ではなく崎元仁氏に交代など、FFXIIはそれまでの「FFのルール」を大幅に覆しました。
物語は「ヴァン」と言う少年の視点から描かれております。ただし主人公である彼が世界を救う英雄譚的な物語ではありません。どちらかと言えばヒロインであるダルマスカの王女「アーシェ」がそのポジションであり、見せ場は空賊「バルフレア」の方が多いです。そういったシナリオも評価を分けた一因と言われています。(実は展開をちゃんと追えば、ヴァンにも世界の行く末を変えるような役割が与えているのですが、あまり知られていません)
ゲーム評価だけでなく、開発をしたスクウェアにも当時は一波乱がありました。映画版『FINAL FANTASY』の歴史的失敗と業績不振、FFの生みの親兼プロデューサー坂口博信氏の退社、有名シリーズを制作したスタッフ達の退社、そしてRPG黄金期時代のライバル「エニックス」との合併し「スクウェア・エニックス」の設立…。さらにFFXIIの開発自体も、延期に延期を重ね、その間松野氏が病気により降板、退社をしています。
ある意味、“いわくつき”とも呼べる本作ですが、「いろいろな問題を抱えた過去の作品」と呼ぶのは勿体無いほど、多くの魅力を持っています。そして自分にとっては特別思い入れのあるゲームでもあります。今回はFFXIIを私の視点から紐解いていこうと思います。
それと比べてFFXIIは世界観が徹底統一されています。各地で様々な種族が生活し、そのバックグラウンドがしっかりと存在し、高度な技術にもちゃんとした理由付けがされています。一般人キャラの発言ひとつひとつにも、世界情勢の一編を垣間見ることが出来ます。
世界観はそのグラフィックにも表れています。例えばダウンタウンに住む人々の暮らしは、服装や肌の汚れできっちり表されております。モーグリやバンガのような種族はコピペで作られておらず、ひとりひとり服装や肌の色が違います。アルティマニアを開いて正直驚いています。
一方でこの作り込みには弊害も。それまでのFFのごちゃ混ぜ世界観は「魅せるところは魅せる」「手の抜くところは手を抜く」ことが上手く出来ていました。しかしFFXIIは気付かないところまで作り込まれていて、その分本筋が薄めです。これはスカイリムのようなオープンワールドファンタジーに近いですが、当時のユーザーにはそういった点はあまり届きませんでした(FFがストーリーで売りだしたゲームであることも大きいと思います)。個人的にはFFXIIとXIIIのリリース順が逆だったら、評価はまた変わったであろうと思います。
それでもFFXIIのPS4で発売が発表された時、想像以上に好評な声が上がりました。オープンワールドゲームを一般ゲーマーが触り始め、時代がFFXIIに追いついたというべきでしょうか。ネットでの評価は当時の2chの声に大きく引っ張られていたので、批判が強すぎた状況からやや正常化したとのかもしれません。(まぁ当時のFF批判は、スクウェア自体の問題もあったので仕方ないのかもしれません)
ストーリーの問題にも触れるつもりでしたが、今回はここまでにします。リマスターに関してはまだまだ隠し玉が残っているそうなので、期待して待ちたいと思います。FFXIIは長い間RPG離れしていた私を、再びファンタジーの世界に呼び戻した特別なRPGでもあります。より美しくなった世界へ、早くまた冒険に旅立ちたいですね。
あ、あとFFXII自体の批判はある程度理解できるけど、崎元仁氏の音楽がクソだ!って言うヤツの意見は一理ないぞ(´・ω・`) そいつの耳が腐っているだけだから(´・ω・`)
・・・と、煽って締めたいと思います。FFっぽくないかもしれないけど、和製ファンタジーとして最高クラスの楽曲群だと思います。みんなも聴こう。
→続く
最近フリーゲームの話題を書けなくてモヤっとしてますが、どうしてもそういう時期は出来てしまうものです。(それでも面白そうなフリゲはしっかり目をつけています)
さて今年のE3が終わりました。正直今回は期待していなかったんですが、『ゼルダの伝説 ブレスオブワイルド』が想像以上に良く、収穫があった回でした。
ただしこの記事で語るのはそのゲームではありません。E3開催数日前に発表された『FINAL FANTASY XII THE ZODIAC AGE』の話です。
FINAL FANTASYXIIは2006年に発売されたFFシリーズの第12作目で、本作はそのPS4リマスター版。「イヴァリース」と呼ばれる架空の世界を舞台に、小国ダルマスカとアルケイディア帝国で起きた動乱の裏側を描いています。ファンタジー色が高い美しい世界観であると同時に、初期ディレクターの松野泰己氏の作風である陰謀や政治色の強さが特徴です。
オリジナル版は200万本以上のセールスを叩き出しましたが、これまでネット界隈では「評価の別れるFF」として語られておりました。シームレスバトルの採用、ガンビットと呼ばれる半自動バトルシステムの採用、作曲家が植松伸夫氏ではなく崎元仁氏に交代など、FFXIIはそれまでの「FFのルール」を大幅に覆しました。
物語は「ヴァン」と言う少年の視点から描かれております。ただし主人公である彼が世界を救う英雄譚的な物語ではありません。どちらかと言えばヒロインであるダルマスカの王女「アーシェ」がそのポジションであり、見せ場は空賊「バルフレア」の方が多いです。そういったシナリオも評価を分けた一因と言われています。(実は展開をちゃんと追えば、ヴァンにも世界の行く末を変えるような役割が与えているのですが、あまり知られていません)
ゲーム評価だけでなく、開発をしたスクウェアにも当時は一波乱がありました。映画版『FINAL FANTASY』の歴史的失敗と業績不振、FFの生みの親兼プロデューサー坂口博信氏の退社、有名シリーズを制作したスタッフ達の退社、そしてRPG黄金期時代のライバル「エニックス」との合併し「スクウェア・エニックス」の設立…。さらにFFXIIの開発自体も、延期に延期を重ね、その間松野氏が病気により降板、退社をしています。
ある意味、“いわくつき”とも呼べる本作ですが、「いろいろな問題を抱えた過去の作品」と呼ぶのは勿体無いほど、多くの魅力を持っています。そして自分にとっては特別思い入れのあるゲームでもあります。今回はFFXIIを私の視点から紐解いていこうと思います。
①広大なフィールドを自由に駆け抜ける
FFXIIは中規模なマップ同士を連結させて一つの世界を作り上げています。PS期までのワールドマップとダンジョンの切り替え式と、現在のオープンワールドの中間と言ってもいいでしょうか。ストーリー上行ける場所は制限されているようですが、実は進行具合によって、本来行く予定のないところに到達することが出来るのです。例えば軽巡洋艦シヴァ脱出後、ストーリーを無視して死都ナブディスまで行くことすら出来ます。広大なフィールドを自分の足で新しい地を開拓することこそがFFXIIの醍醐味と言えるでしょう。しかし、この時点で移動範囲が追加されることがアナウンスされないため(いつのまにか制限していたものが消えていたりする)、普通に物語を追ってプレイすると広いフィールドをお使いするだけなります。はじめてプレイした時はただ言われるがまま進めていたので、あまり楽しめませんでした。しかし数年後自由な遊び方を知ってやり直した時、このゲームに本気でドハマリしました。②ガンビットと呼ばれる戦闘AI設定の楽しさ
私が以前もぐらゲームス様に記事を寄稿したゲーム『Tactical Chronicle』を覚えているでしょうか?あの作品ではプレイヤーがパーティキャラのAIを設定し、オート戦闘で戦うことが出来ました。その原点はFFXIIのガンビットです。本来敵モンスターの行動パターンを決定するためのAIを、プレイヤーがキャラクター達に自由に設定することが出来るようになったのです。例えばHPが50%以下になった時回復を使う、モンスターの弱点属性に有効な魔法を使うなど、組み合わせ次第で無限の可能性のある戦闘パターンが出来ます。特に「モブ」と呼ばれるハンティングボスモンスター戦は「何もしなくても勝てる」ほど甘くはなく、これをいかに組み立てるかが戦術の鍵となります。個人的に本作の一番の熱い部分でした。③イヴァリースと呼ばれる世界の徹底した作り込み
FFの世界観の特徴を誤解を恐れず言うのであれば、西洋東洋ごちゃ混ぜのトンデモワールドと言ってもいいでしょう。ファンタジー色強いシリーズでも出どころが全く違う召喚獣が仲間になったり、スチームパンク感や学園モノ、最新作では新宿すら出てきます。世界観統一された海外のRPGよりもより自由でぶっ飛んでいるのがFFらしさなのかもしれません。それと比べてFFXIIは世界観が徹底統一されています。各地で様々な種族が生活し、そのバックグラウンドがしっかりと存在し、高度な技術にもちゃんとした理由付けがされています。一般人キャラの発言ひとつひとつにも、世界情勢の一編を垣間見ることが出来ます。
世界観はそのグラフィックにも表れています。例えばダウンタウンに住む人々の暮らしは、服装や肌の汚れできっちり表されております。モーグリやバンガのような種族はコピペで作られておらず、ひとりひとり服装や肌の色が違います。アルティマニアを開いて正直驚いています。
一方でこの作り込みには弊害も。それまでのFFのごちゃ混ぜ世界観は「魅せるところは魅せる」「手の抜くところは手を抜く」ことが上手く出来ていました。しかしFFXIIは気付かないところまで作り込まれていて、その分本筋が薄めです。これはスカイリムのようなオープンワールドファンタジーに近いですが、当時のユーザーにはそういった点はあまり届きませんでした(FFがストーリーで売りだしたゲームであることも大きいと思います)。個人的にはFFXIIとXIIIのリリース順が逆だったら、評価はまた変わったであろうと思います。
それでもFFXIIのPS4で発売が発表された時、想像以上に好評な声が上がりました。オープンワールドゲームを一般ゲーマーが触り始め、時代がFFXIIに追いついたというべきでしょうか。ネットでの評価は当時の2chの声に大きく引っ張られていたので、批判が強すぎた状況からやや正常化したとのかもしれません。(まぁ当時のFF批判は、スクウェア自体の問題もあったので仕方ないのかもしれません)
ストーリーの問題にも触れるつもりでしたが、今回はここまでにします。リマスターに関してはまだまだ隠し玉が残っているそうなので、期待して待ちたいと思います。FFXIIは長い間RPG離れしていた私を、再びファンタジーの世界に呼び戻した特別なRPGでもあります。より美しくなった世界へ、早くまた冒険に旅立ちたいですね。
あ、あとFFXII自体の批判はある程度理解できるけど、崎元仁氏の音楽がクソだ!って言うヤツの意見は一理ないぞ(´・ω・`) そいつの耳が腐っているだけだから(´・ω・`)
・・・と、煽って締めたいと思います。FFっぽくないかもしれないけど、和製ファンタジーとして最高クラスの楽曲群だと思います。みんなも聴こう。
→続く
2015年7月29日水曜日
電撃発表された『ドラゴンクエストⅪ』から、ドラクエの販売戦略を紐解く
どうも、ノンジャンル人生です。いやー、とんでもないニュースが入ってきましたね。国内RPGにおける金字塔「ドラゴンクエストシリーズ」の最新作が公式の場で発表されました。タイトルは『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』。しかもソニーの据置機、任天堂の携帯機への変則的な提供は衝撃的でした。PS4と3DSの画面を見てさらに驚愕!簡単には説明できないので、ドラゴンクエストのハード移行の歴史を紐解きながら解説してゆくます。相変わらず疎い知識で語るので、間違いや抜けがあればご了承を。
まず、「ドラゴンクエストシリーズ」がどういった経緯で普及していったのか、簡単にまとめてみます。
①ファミコンで1から4までが発売され、爆発的な人気を博す。社会現象とまで呼ばれる。
②スーパーファミコン5・6とロト3部作のリメイクが発売され、RPG黄金期を支える。
③プレイステーションの7では、FFシリーズに遅れをとるもハード最大のソフト売上を記録。4をリメイク+初の追加シナリオ。
④プレイステーション2で5リメイクと8が発売され、8が再びハード最大のソフト売上を記録。エニックスとスクウェアが合併。
⑤ニンテンドーDSで4から6までのリメイクが発売。同機で9が発売され、ドラクエ史上最大のヒット作になる。
⑥25周年でWiiにロト三部作のFC・SFC版をセットにしたものを発売。Wiiでドラクエ10が発売(後にWiiUとPCでも発売)。10は初のオンラインタイトル。
⑦スマートフォンでシリーズを移植。3DSで7と8をリメイク。
(リメイク・移植は他にMSX・GBなどもあり)
ひと通り流れをみると、ある特徴が分かります。それはその時期に最も売れているハードでナンバリングタイトルを出すということです。ハードが任天堂機やソニー機、据置機や携帯機とガンガン変わっているのにも理由があるんですね。また、リメイクを定期的に出し、昔ドラクエを遊んだファンだけでなく、まだドラクエを触ってない世代にも普及させようとしているのが見受けられます。スクウェア・エニックスはとても手堅い販売戦略を展開してきたと思います。
しかしここで大きな問題が生まれました。それは「ドラクエに対してユーザーが求めるものが乖離し始めた」ことです。ゲームハードの進化は、美しいグラフィックと高度な処理をもたらしてくれました。ドラクエも7以降マップが3Dとなり、より広大な世界を冒険出来るようになりました。一方、3D化した表現の違和感に対して「これはドラクエではない」と訴えるユーザーが出てくるようになりました。彼らにとってドット絵のドラクエは原体験であり、ドラクエに対し本当に求めているものなのです。また、国内ではソニーと任天堂の両メーカーに対するファンは根強く、自分の所持するハードに来てほしいと願っています(ハード戦争とネットでは言われていますが、あまり出費をしたくないというのが一般ユーザーの本音だと思います^^;)。さらにゲームはじっくり据置機で遊びたい派とパッと手軽にプレイできる携帯機で遊びたい派もいます。これらの問題により、ファン同士の対立やメーカーに対する批判が生まれてしまいました。彼らの言い分は常に、「(自分の対立側)のせいで、ドラクエはダメになった!」というものです。全てドラクエそのものに対する“愛”ゆえなため、解決は難しかったんですね。
そんな状態で発表されることになったドラクエ11、正直自分は今回の発表で対立が一段と深まるのではと思っていました…が、まさか先ほど挙げた「グラフィック表現の対立」「ハードメーカーの対立」「据置機と携帯機の対立」を全て解消してしまうとは、さすがに腰を抜かしました。
まずPS4では海外メーカーに負けないほどの美しいグラフィックを再現しています。光や空気感をも意識して作られており、すぐにでも冒険してみたいというワクワク感があります。また戦闘の形式は従来のドラクエと同じなので、高度なグラフィックのまま誰でも遊びやすくなっています。現在のPS4の洋ゲーの多くがライトユーザーに敷居が高いことを考えると、国内メーカーだからこその配慮を感じられます。
次に3DSでは上画面をデフォルメされた3D、下画面をSFC時代のような2D で表現しています。これが当日一番驚いたことです。今まで携帯機ドラクエで培ってきたノウハウを生かしつつ、古参ユーザーを満足させる表現もしています。さらに戦闘画面は3D・2Dを切り替え可能!自分の好きな方式でドラクエを遊ぶことが出来ます。高性能のPS4とはまったく違う、3DSの特性を上手く活かした作りは、まさにアイデアの勝利であると思います。
2つの機器での発売は、PS4は海外を、3DSは国内を意識した販売戦略でもあります。ただファンのためだけではなく、ドラクエの販路拡大をしっかりと見据えていることが分かります。これだけ多くの要素を同時に解決したのは凄いですね。
ここまでドラクエ11を絶賛してきましたが、まだまだ第一報でしかありません。本当にファンの期待に答えられるものかどうかは、ストーリーやゲームシステムなど、ハードやグラフィック以外の要素が絡んできます。しかし今回は30周年だからこそ気合が入っているのがひしひしと感じられます。いちRPGファンとして、続報を暖かく見守ってみようと思います。
【おまけ】
NXでの販売を検討していると、最後にさらりと爆弾発言をしましたね。NXが任天堂第三のハードとして売る予定であることから、現行機種とはまったく違うアミューズメント型のパターンもあるのではと思っていましたが、ドラクエが出るとすると違うでしょうね。そうなるとやはり据置と携帯の複合型が近いのか…?本当に謎なハードです。
まず、「ドラゴンクエストシリーズ」がどういった経緯で普及していったのか、簡単にまとめてみます。
①ファミコンで1から4までが発売され、爆発的な人気を博す。社会現象とまで呼ばれる。
②スーパーファミコン5・6とロト3部作のリメイクが発売され、RPG黄金期を支える。
③プレイステーションの7では、FFシリーズに遅れをとるもハード最大のソフト売上を記録。4をリメイク+初の追加シナリオ。
④プレイステーション2で5リメイクと8が発売され、8が再びハード最大のソフト売上を記録。エニックスとスクウェアが合併。
⑤ニンテンドーDSで4から6までのリメイクが発売。同機で9が発売され、ドラクエ史上最大のヒット作になる。
⑥25周年でWiiにロト三部作のFC・SFC版をセットにしたものを発売。Wiiでドラクエ10が発売(後にWiiUとPCでも発売)。10は初のオンラインタイトル。
⑦スマートフォンでシリーズを移植。3DSで7と8をリメイク。
(リメイク・移植は他にMSX・GBなどもあり)
ひと通り流れをみると、ある特徴が分かります。それはその時期に最も売れているハードでナンバリングタイトルを出すということです。ハードが任天堂機やソニー機、据置機や携帯機とガンガン変わっているのにも理由があるんですね。また、リメイクを定期的に出し、昔ドラクエを遊んだファンだけでなく、まだドラクエを触ってない世代にも普及させようとしているのが見受けられます。スクウェア・エニックスはとても手堅い販売戦略を展開してきたと思います。
しかしここで大きな問題が生まれました。それは「ドラクエに対してユーザーが求めるものが乖離し始めた」ことです。ゲームハードの進化は、美しいグラフィックと高度な処理をもたらしてくれました。ドラクエも7以降マップが3Dとなり、より広大な世界を冒険出来るようになりました。一方、3D化した表現の違和感に対して「これはドラクエではない」と訴えるユーザーが出てくるようになりました。彼らにとってドット絵のドラクエは原体験であり、ドラクエに対し本当に求めているものなのです。また、国内ではソニーと任天堂の両メーカーに対するファンは根強く、自分の所持するハードに来てほしいと願っています(ハード戦争とネットでは言われていますが、あまり出費をしたくないというのが一般ユーザーの本音だと思います^^;)。さらにゲームはじっくり据置機で遊びたい派とパッと手軽にプレイできる携帯機で遊びたい派もいます。これらの問題により、ファン同士の対立やメーカーに対する批判が生まれてしまいました。彼らの言い分は常に、「(自分の対立側)のせいで、ドラクエはダメになった!」というものです。全てドラクエそのものに対する“愛”ゆえなため、解決は難しかったんですね。
そんな状態で発表されることになったドラクエ11、正直自分は今回の発表で対立が一段と深まるのではと思っていました…が、まさか先ほど挙げた「グラフィック表現の対立」「ハードメーカーの対立」「据置機と携帯機の対立」を全て解消してしまうとは、さすがに腰を抜かしました。
まずPS4では海外メーカーに負けないほどの美しいグラフィックを再現しています。光や空気感をも意識して作られており、すぐにでも冒険してみたいというワクワク感があります。また戦闘の形式は従来のドラクエと同じなので、高度なグラフィックのまま誰でも遊びやすくなっています。現在のPS4の洋ゲーの多くがライトユーザーに敷居が高いことを考えると、国内メーカーだからこその配慮を感じられます。
次に3DSでは上画面をデフォルメされた3D、下画面をSFC時代のような2D で表現しています。これが当日一番驚いたことです。今まで携帯機ドラクエで培ってきたノウハウを生かしつつ、古参ユーザーを満足させる表現もしています。さらに戦闘画面は3D・2Dを切り替え可能!自分の好きな方式でドラクエを遊ぶことが出来ます。高性能のPS4とはまったく違う、3DSの特性を上手く活かした作りは、まさにアイデアの勝利であると思います。
2つの機器での発売は、PS4は海外を、3DSは国内を意識した販売戦略でもあります。ただファンのためだけではなく、ドラクエの販路拡大をしっかりと見据えていることが分かります。これだけ多くの要素を同時に解決したのは凄いですね。
ここまでドラクエ11を絶賛してきましたが、まだまだ第一報でしかありません。本当にファンの期待に答えられるものかどうかは、ストーリーやゲームシステムなど、ハードやグラフィック以外の要素が絡んできます。しかし今回は30周年だからこそ気合が入っているのがひしひしと感じられます。いちRPGファンとして、続報を暖かく見守ってみようと思います。
【おまけ】
NXでの販売を検討していると、最後にさらりと爆弾発言をしましたね。NXが任天堂第三のハードとして売る予定であることから、現行機種とはまったく違うアミューズメント型のパターンもあるのではと思っていましたが、ドラクエが出るとすると違うでしょうね。そうなるとやはり据置と携帯の複合型が近いのか…?本当に謎なハードです。
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