ラベル FFシリーズ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル FFシリーズ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年3月24日金曜日

ファミコン版FF3から見る、レトロRPGの評価

どうも、ノンジャンル人生です。現在「けものフレンズ」にめっちゃハマっています。アニメ追うの結構苦手なんですけど、抵抗なく見れてとても良いです。ロードムービーものっていいよね…。

さて今回は先日プレイしたファミコン版『FINAL FANTASYⅢ』についての話。自分が今まで遊んだRPGは古くてもSFCのものだったので、そういった意味では今までで最も過去のRPGに触ったことになります(ちなみにVCです)。

名作と名高いFINAL FANTASYⅢですが、実際に遊んでみると今と昔の評価の違いと言うものを感じました。なので、そういった面も含めて紐解いていこうと思います。

①名作として語り継がれるもの、そうでないもの
FF3といえば「名フィールド曲・悠久の風」「ジョブチェンジ」「ナーシャ・ジベリの飛空艇プログラム」「長過ぎるラストダンジョン」などが有名でしょう。実際にプレイしてみると確かにそういったところは特に印象的でした。しかし、それがすべてではないのがFF3です。

例えば黒魔道士。FFおなじみの職業ですが、歩行のドット絵が可愛らしく序盤は戦闘キャラとして愛用していました。しかし中盤前衛キャラの連続ヒットが伸びたことで、火力と速度不足に悩みお役目御免。泣く泣く外しましたが、終盤魔人が加入した時の黒魔法が想像以上に優秀で驚きました。

ハインの城といえばハインのバリアチェンジが有名ですが、それより印象的だったのは道中の混乱連発。会う敵会う敵混乱を使う上、前衛ヒット数の増加と相まって、恐ろしい目に会いました。

FF3を実際にプレイすると、こういったあまり知られていないエピソードが山のようにあります。しかしゲームは時間が経つに連れ、情報が削ぎ落とされた状態で評価されていくのだと実感しました。そういった意味を踏まえると、世間が名作や駄作として扱う作品でも、自分でプレイすることで新たなる発見があるのかもしれません。

②ユーザビリティは後発作品の方が進歩している
時の経過とともにゲームは良い悪いのカテゴリ分けされていきますが、例え世間的評価の低い作品でも、古い作品に勝っている部分があることは多いです。そのひとつがユーザビリティ(プレイの快適性)です。例えば装備の付け外しに関しては、FF3と後発のFFを比べたら天地ほどの快適性の差があります。しかしFF3もそれ以前の作品の悪い点を改良してこの状態になっているのです。

古いゲームは、その時期のゲームの快適性によって評価が変動します。その時の基準、今の基準はまったく違うものです。なので「名作らしいから完璧なゲームのはずだ!」と思い込んでしまうと、がっかりすることもあるかもしれません。時代も含めて名作なのです。

③レトロだから良いのではなく、ミニマムデザインだから良いのかもしれない
「FC音源は今にはない味がある」「昔のゲームにはシナリオに想像の余地があった」というような話は、世間ではよくされていると思います。しかしこれに関しては、それだけで話を終わらしてはいけないのではと個人的に思いました。

FF3は表現の制限下で制作されています。PS4で発売されたFF15のように、オープンワールドでもAIを搭載しているわけでもありません。

しかし最小限の表現は、重要な部分をはっきり見せられるという強みがあります。3音の「悠久の風」はメロディラインが印象的ですし、グラフィックの色数が少なくても造形や色合いにこだわりが見えます。シナリオは確かに展開が早急かもしれませんが、序破急をしっかりと守っています。

こうった最小限の要素で構成されたことで、ゲームコンセプトをプレイヤーにダイレクトに使えられたことこそが、レトロゲームの真の強みではないかと思います。言うなればミニマムデザイン。古いから良いのではなく、構成する枠の小ささが、ゲームの良さを引き立たせた要因なのではないでしょうか。


と、こんな感じです。洗練されてないゆえに辛い部分もありましたが、FF3はとても良いゲームです。ゲームを作る身として、プレイを通していろいろ勉強になりました。ではでは。

2016年6月21日火曜日

『FINAL FANTASY XII』②:シナリオの問題点を考察する

どうもノンジャンル人生です。今日は前回に続いて『FINAL FANTASY XII』の話をします。今回はシナリオの話ですが、あくまでも個人的見解です。FFXII自体様々な解釈ができるよう作られているとスタッフは言っているので、あんまり鵜呑みにせず、プレイヤーそれぞれが評価を決めるのが正しいと思います。

FFXIIの評価で、ネット上では「シナリオがつまらない」という話を聞くことが多かったです。しかし皆が口々にそう言うものの、具体的な話があまり出てきません。有名な「ヴァンではなくバルフレアが主人公」と「脈絡のない『バルフレアーーー!』の叫び」という話のみが先行し、シナリオの問題点の考察があまりなされていないように感じていました。(個人ブログや掲示板によってはいろいろ考察されていますが、全体の見解は曖昧なままです)

なので今回は、FFXIIのシナリオの特徴を書きつつ、何が本作の物語の持ち味で、何が問題だったのか思うところを書き連ねてゆきます。


①戦記物としてのFINAL FANTASY


FFのシナリオといえば、VIIやXのように星の命運をかける規模の戦いを思い出す人もいるでしょう。誰かが命を投げ出して、大切なものを救うシーンを思い出すかもしれません。

本作ではそういった「FFらしさ」とは違ったスタイルをとっています。舞台は星全土ではなく、ふたつの帝国に挟まれた「小国ダルマスカ」。アルケイディア帝国にも行けますが、あくまでも領土の一部です。イヴァリースという世界でも、かなり狭い範囲がFFXIIの舞台です(マップは広いですが)。

またOPシーンを見て分かる通り、FFXIIはファンタジーの戦争を取り扱っています。チョコボによる騎馬隊、兵器と魔法による集団の攻防、こういったシーンは従来のシリーズではあまり描かれていません。悪しき「帝国」が存在しても、あくまで小さな組織の反撃が描かれる程度です。そのかわり、登場人物が世界に与える影響は非常に大きく、ヒーロー級同士の戦いがそれまでのFFの特徴です。一方FFXIIは個々の役割は大きくなく、登場人物達の活躍も大きな歴史の一幕に過ぎません。名前もない多くの人物が泥臭く戦ってゆき、イヴァリースの歴史を作り上げていっています。

そういった意味では、この物語に主人公はいません。歴史から見ればオンドール公が主人公かも知れませんし、ラーサーこそ主人公かもしれません。そういった中でアーシェ達の冒険に巻き込まれただけの普通の人間である「ヴァン」が主人公なのは、FFXIIの特徴を捉えていると思います。

②政治的駆け引きと陰謀にまみれた物語


FFXIIの物語は主人公パーティだけのものではないことが分かったと思います。実際にプレイすると主人公サイドの話だけでなく、物語の合間合間に帝国ソリドール家やジャッジ内での確執が描かれます。それがだんだんと膨れ上がり、最終的には帝国の暴走へと発展します。統一された悪の組織ではなく、それぞれが自分の思想を持ち、それが織り交ざって物語を生み出しています。

帝国だけではありません。例えばアーシェの協力者となるオンドール公も、アーシェの考えの裏をかきながら行動します。アルケイディア帝国と敵対するロザリア帝国も、ダルマスカの動乱へ秘密裏に加入します。

さらに後半ではある強大な種族達がアーシェ達に力を貸します。ネットでは彼らが諸悪の根源で本来ラスボスのポジションではないかと囁かれていますが、力を貸すだけで物語にはほとんど加入しません。しかしながらアーシェを利用し、自分たちの目的を成そうとします。

こういったように、いろんな人物の思惑が複雑に絡み合い、大きな物語を作り上げています。

・・・あれ?ここまで聞くと、FFらしくはないけど面白そうな物語じゃない?と思う人もいるでしょう。派手さはないが綿密で徹底している、それがFFXIIです。ならば何故、「シナリオが悪い」と言われるのでしょうか?


③滞ってしまったパーティメンバーの「主体性」


前回FFXIIのプロデューサー松野泰己氏が退社したことを書いたと思います。その後サガシリーズの河津秋敏氏がプロデューサーを努め、開発延期を重ねたFFXIIを完成にさせました。シナリオは松野泰己氏が残したプロットを元に書いたとアルティマニアには綴られています。ネットでは根も葉もない噂が錯綜していますが、いちプレイヤーとして見るにFFXIIの物語の質が変わるのはレイスウォール墓所~リヴァイアサン艦隊での決戦後の時点です。それまでは登場人物同士が主体的に動き、感情を露わにしてぶつかり合っていますが、ガリフ以降は誰かに言われて◯◯へ行くという、いわゆる「お使い」的なイベントが増えてゆきます。イベント量もはっきりと減っており、「アルティマニアオメガ」で10章に分けられたシナリオの半分をここまでで消化しています。ページ数で言えば57:60…。しかしダンジョン数・フィールド数は後半の方が明らかに多く、だいたい2/3程度は残っていたはずです。(もしかしてここまでで、何らかの「時間切れ」になってしまったのではないでしょうか…?)

同時に、プレイヤー達とそれを邪魔立てする敵との戦いもかなり少ないです。ガリフ以降自分の意志で戦う敵は神都ブルオミシェイス・ドラクロア研究所・大灯台頂上・最終決戦…これだけです。後はほとんどモンスターなので、シナリオを盛り上げるために必要な「ぶつかり合い」が全く足りません。

シナリオで最も大切な物は「葛藤」だと言われています。これは心の中で悩むことではなく、主人公が目的を達成しようとした時に障害が現れることを指します。主人公達が能動的に動くも問題が発生し、それをどうにか解決しようとすることで、物語が観客の心を惹きつけるのです。しかしFFXIIの後半は主人公たちが受動的であり、彼らを邪魔立てする存在も僅かです。それゆえ見る側を揺さぶること無く物語が終わってしまいます。

この結果、お使いを頼まれ大きなイベントの用意されていないダンジョンをいくつも渡って、ようやく到達した場所で、またお使いを頼まれるという、致命的な問題が発生します。シドの大立ち回りや大灯台頂上のせめぎ合いなど、本来であれば密度の高いシナリオの部分もあるのに、後半のイベントの足りなさがそれを薄めてしまっています。

実はこの問題、プレイ方法によっては解決することが出来ます。それはプレイヤーが主体的に探索やモブハントをすることです。本作は本筋に関わらない一般キャラクターの台詞までしっかりと練られているので、寄り道をすればするほど物語が充実してゆく構造になっています。キャラクター達に足りない主体性をプレイヤーが自らの冒険で補うことでFFXIIは完成してゆくのです。本作の海外評価の高さの要因はこれではないでしょうか?実際自分も二周目にそういった遊び方をして時は、FFXIIの評価が逆転しました。ただ、それは多くの人がFFに望んだものではありませんでした(どちらかと言えば、国内ではその役割はドラクエがそれを担っています)。


④個人的にこうした方が良かったと思うこと


FFXIIでは重要人物なのに見せ場が足りずに終わってしまったキャラクターが何人かいます。序盤にライバル敵ポジションで登場したのに、その後はモブ扱いで退場してしまった「バッガモナン一味」。帝国の象徴であるのに、結局主人公達と戦わなかったジャッジマスターの「ドレイス」「ザルガバース」。ロザリア帝国唯一の重要人物であるのに、出番がたった二箇所しかない「アルシド」。そしてゲームロゴになっているのにもかかわらず、政治的駆け引きによって雁字搦めになってしまったジャッジマスターの「ガブラス」

特にガブラスはヴァン、アーシェ、バッシュに因縁が深い人物であり、物語の引き金&幕引きの役目を与えられた人物です。FFXIIの中核にいる人物であるはずなのに、「犬」扱いされて物語の外にはじき出されてしまっています。これほど勿体無いことはありません。例えば終盤大灯台でガブラスがヴァンとアーシェのヘイトを貯めるシーンがあります。あれを早い段階で用意出来たのならば、彼らの心境をもっと揺さぶれたはずです。

本来活躍するはずだった彼らに役目を与えることで、物語は盛り上がりを得られたのではないか…と思ってしまいます。具体的に挙げるならば、神都でガブラスがラーサーを連れて帰る時点でヴァン達との初顔合わせ、帝都までの旅路でバッガモナンとの再戦、主人公達を「測る」ためにザルガバースが単独で戦いを挑むシーンはあっても良かったと思います。案を考え始めるときりがありませんので、とりあえずこんなところで。

例の種族関係も、もう少し違った役割があっても良かった気も。最終的にアーシェは彼らに反旗を翻したので、その後敵対関係になっても道筋的にはおかしくないでしょう。もしくは帝国側についた「ヴェーネス」をより恐ろしげに描かれていても良かったのかもしれません(どうしても主体がヴェイン&シド>ヴェーネスだったので)。ただ帝国とダルマスカの戦いがメインであるため、扱いが難しそうです。

一方主人公であるヴァンがヒーロー然していたら良かったとは個人的には思えません。彼がもっと自分の意志で動いて物語を動かしてゆく必要はありますが、もし彼がレイスウォールの血を引き継いでいる設定だとしても、本筋の薄さの解消には繋がらないはずです。また、そういう風に従来のFFに近づけても、彼やイヴァリースの持ち味を弱めてしまう可能性もあります。

(あ、「バルフレアー!」はよく分かんないですw 初回は大して気にしませんでしたし、あれには深い意味はなさそうです)


はぁ…疲れた。長々と書いてしまった。ズラーッと書いてきましたが、別に自由気ままな見解ですので、初プレイの人はあまり真に受けず、自分なりに楽しんでください。…まぁぶっちゃけFFXIIの大きな魅力はシナリオ以外のところにあるので、話を追うことをメインとしなければ楽しめるのではないでしょうか?リマスター版は追加シナリオを今のところ予定していないそうですが、発売日が来年のいつ頃か決まってないこと、まだ開発中であるそうなので、僅かな奇跡を期待しつつ、次の情報を待ちたいと思います。(FFXIIの膨大な情報量を持ってして、整合性がとれるかどうかの問題からは目を背けつつ…)

ではでは。

2017.7追記:なかった\(^o^)/

2016年6月20日月曜日

『FINAL FANTASY XII』:リマスターを機に、生まれるのが早すぎた正統派ファンタジーを紐解く

みなさんこんばんは、ノンジャンル人生です。
最近フリーゲームの話題を書けなくてモヤっとしてますが、どうしてもそういう時期は出来てしまうものです。(それでも面白そうなフリゲはしっかり目をつけています)

さて今年のE3が終わりました。正直今回は期待していなかったんですが、『ゼルダの伝説 ブレスオブワイルド』が想像以上に良く、収穫があった回でした。

ただしこの記事で語るのはそのゲームではありません。E3開催数日前に発表された『FINAL FANTASY XII THE ZODIAC AGE』の話です。

FINAL FANTASYXIIは2006年に発売されたFFシリーズの第12作目で、本作はそのPS4リマスター版。「イヴァリース」と呼ばれる架空の世界を舞台に、小国ダルマスカとアルケイディア帝国で起きた動乱の裏側を描いています。ファンタジー色が高い美しい世界観であると同時に、初期ディレクターの松野泰己氏の作風である陰謀や政治色の強さが特徴です

オリジナル版は200万本以上のセールスを叩き出しましたが、これまでネット界隈では「評価の別れるFF」として語られておりました。シームレスバトルの採用、ガンビットと呼ばれる半自動バトルシステムの採用、作曲家が植松伸夫氏ではなく崎元仁氏に交代など、FFXIIはそれまでの「FFのルール」を大幅に覆しました。

物語は「ヴァン」と言う少年の視点から描かれております。ただし主人公である彼が世界を救う英雄譚的な物語ではありません。どちらかと言えばヒロインであるダルマスカの王女「アーシェ」がそのポジションであり、見せ場は空賊「バルフレア」の方が多いです。そういったシナリオも評価を分けた一因と言われています。(実は展開をちゃんと追えば、ヴァンにも世界の行く末を変えるような役割が与えているのですが、あまり知られていません)

ゲーム評価だけでなく、開発をしたスクウェアにも当時は一波乱がありました。映画版『FINAL FANTASY』の歴史的失敗と業績不振、FFの生みの親兼プロデューサー坂口博信氏の退社、有名シリーズを制作したスタッフ達の退社、そしてRPG黄金期時代のライバル「エニックス」との合併し「スクウェア・エニックス」の設立…。さらにFFXIIの開発自体も、延期に延期を重ね、その間松野氏が病気により降板、退社をしています。

ある意味、“いわくつき”とも呼べる本作ですが、「いろいろな問題を抱えた過去の作品」と呼ぶのは勿体無いほど、多くの魅力を持っています。そして自分にとっては特別思い入れのあるゲームでもあります。今回はFFXIIを私の視点から紐解いていこうと思います。

①広大なフィールドを自由に駆け抜ける

FFXIIは中規模なマップ同士を連結させて一つの世界を作り上げています。PS期までのワールドマップとダンジョンの切り替え式と、現在のオープンワールドの中間と言ってもいいでしょうか。ストーリー上行ける場所は制限されているようですが、実は進行具合によって、本来行く予定のないところに到達することが出来るのです。例えば軽巡洋艦シヴァ脱出後、ストーリーを無視して死都ナブディスまで行くことすら出来ます。広大なフィールドを自分の足で新しい地を開拓することこそがFFXIIの醍醐味と言えるでしょう。しかし、この時点で移動範囲が追加されることがアナウンスされないため(いつのまにか制限していたものが消えていたりする)、普通に物語を追ってプレイすると広いフィールドをお使いするだけなります。はじめてプレイした時はただ言われるがまま進めていたので、あまり楽しめませんでした。しかし数年後自由な遊び方を知ってやり直した時、このゲームに本気でドハマリしました

②ガンビットと呼ばれる戦闘AI設定の楽しさ

私が以前もぐらゲームス様に記事を寄稿したゲーム『Tactical Chronicle』を覚えているでしょうか?あの作品ではプレイヤーがパーティキャラのAIを設定し、オート戦闘で戦うことが出来ました。その原点はFFXIIのガンビットです。本来敵モンスターの行動パターンを決定するためのAIを、プレイヤーがキャラクター達に自由に設定することが出来るようになったのです。例えばHPが50%以下になった時回復を使う、モンスターの弱点属性に有効な魔法を使うなど、組み合わせ次第で無限の可能性のある戦闘パターンが出来ます。特に「モブ」と呼ばれるハンティングボスモンスター戦は「何もしなくても勝てる」ほど甘くはなく、これをいかに組み立てるかが戦術の鍵となります。個人的に本作の一番の熱い部分でした。

③イヴァリースと呼ばれる世界の徹底した作り込み

FFの世界観の特徴を誤解を恐れず言うのであれば、西洋東洋ごちゃ混ぜのトンデモワールドと言ってもいいでしょう。ファンタジー色強いシリーズでも出どころが全く違う召喚獣が仲間になったり、スチームパンク感や学園モノ、最新作では新宿すら出てきます。世界観統一された海外のRPGよりもより自由でぶっ飛んでいるのがFFらしさなのかもしれません。

それと比べてFFXIIは世界観が徹底統一されています。各地で様々な種族が生活し、そのバックグラウンドがしっかりと存在し、高度な技術にもちゃんとした理由付けがされています。一般人キャラの発言ひとつひとつにも、世界情勢の一編を垣間見ることが出来ます。

世界観はそのグラフィックにも表れています。例えばダウンタウンに住む人々の暮らしは、服装や肌の汚れできっちり表されております。モーグリやバンガのような種族はコピペで作られておらず、ひとりひとり服装や肌の色が違います。アルティマニアを開いて正直驚いています。

一方でこの作り込みには弊害も。それまでのFFのごちゃ混ぜ世界観は「魅せるところは魅せる」「手の抜くところは手を抜く」ことが上手く出来ていました。しかしFFXIIは気付かないところまで作り込まれていて、その分本筋が薄めです。これはスカイリムのようなオープンワールドファンタジーに近いですが、当時のユーザーにはそういった点はあまり届きませんでした(FFがストーリーで売りだしたゲームであることも大きいと思います)。個人的にはFFXIIとXIIIのリリース順が逆だったら、評価はまた変わったであろうと思います。

それでもFFXIIのPS4で発売が発表された時、想像以上に好評な声が上がりました。オープンワールドゲームを一般ゲーマーが触り始め、時代がFFXIIに追いついたというべきでしょうか。ネットでの評価は当時の2chの声に大きく引っ張られていたので、批判が強すぎた状況からやや正常化したとのかもしれません。(まぁ当時のFF批判は、スクウェア自体の問題もあったので仕方ないのかもしれません)

ストーリーの問題にも触れるつもりでしたが、今回はここまでにします。リマスターに関してはまだまだ隠し玉が残っているそうなので、期待して待ちたいと思います。FFXIIは長い間RPG離れしていた私を、再びファンタジーの世界に呼び戻した特別なRPGでもあります。より美しくなった世界へ、早くまた冒険に旅立ちたいですね。




あ、あとFFXII自体の批判はある程度理解できるけど、崎元仁氏の音楽がクソだ!って言うヤツの意見は一理ないぞ(´・ω・`) そいつの耳が腐っているだけだから(´・ω・`)

・・・と、煽って締めたいと思います。FFっぽくないかもしれないけど、和製ファンタジーとして最高クラスの楽曲群だと思います。みんなも聴こう。

続く