2015年7月20日月曜日

銀河にねがいを 岩田聡氏を偲んで

訃報を知ったのは一週間ほど前でした。任天堂の公式ツイッターで流れてきたのは「岩田社長」が逝去したという文章。見た瞬間、「え!?」と思わず声を出してしまいました。任天堂の顔として表舞台に立ち、ニンテンドーダイレクトでも愛嬌があってユーモラスなプレゼンを行ってきた名物社長。たぶん、国内で最もユーザーと近い目線を持った経営者であったと思います。

訃報の次に流れてきたのは、多くの方の悲しみの声と岩田氏の功績を称えるエピソードでした。プログラマーとしての才覚、先代山内氏によって見出された経営手腕、DS・Wiiでの歴史的成功、糸井重里氏との友情。どれも後世に残すべき素晴らしいことだと思います。

でも、自分にとっての「岩田聡」という人物の思い出は、まったく別のところにあります。それはスーパーファミコン用ゲームソフト『星のカービィ スーパーデラックス』の最後の物語、『銀河にねがいを』のエンディングです。

自分が子供の頃はじめて買ってもらったゲームハード『スーパーファミコン』。購入してもらってからは『カービィボウル』や『スーパーボンバーマン』などを遊びましたが、当時はどのゲームも難しく、エンディングを見れたゲームはありませんでした。そんな中で知ったスーパーデラックスというゲームのCM。

「カービィちゃん、カービィちゃん、スーパーデラックスカービィちゃん」
「ふたりでアクションカービィちゃん」
「6つのゲームでカービィちゃん」

あのわけの分からないCMに釣られて買った、木箱に似せたパッケージのゲーム。そこは自分にとっての夢と魔法の世界でした。今だったら「ポップで美しいアートワーク」「初心者でも直感的に遊べる操作感」「プレイヤーごとに違った攻略体験が出来る自由度」なんて文章を書くかもしれません。しかし、そんな理屈など関係なく、ただ、ただ、その世界に夢中になりました。ひとりで、あるいは妹や友達と、宝が眠る地の底や世界を支配しようとする戦艦を何度も駆け抜けました。

そして『銀河にねがいを』という物語。最後だけあり、子供の頃の自分にとってはまさに“難関”でした。幾つもの星を巡り、ノヴァの体内でのシューティングを越え、たどり着いたラスボス「マルク」との決戦。恐ろしげな姿と声で襲ってくるマルクとの戦いは、まさに子どもながらに演じた死闘でした。ゲームオーバーになりながら何度も挑み、ついに与えた最後の一撃。ノヴァが弾け、ワープスターと共に凱旋するカービィは、自分にとってのヒーローであり、かけがえのない自分の分身でした。

そしてカービィの寝顔と静かなオルゴールとともに始まる『銀河にねがいを』のエンディング。それは、自分の力ではじめて迎えたゲームのエンディングでした。空に高く流れてゆくスタッフ名とカービィのイラスト。その中に偉そうな格好をしたカービィと、「プロデューサー」岩田聡・宮本茂の名前がありました。これが岩田氏と自分との出会いです。もちろん当時はどんな人なのかまったく知らなかったですが、なんとなくえらい人だとは分かりました。

スーパーデラックスはたくさんの思い出を残してくれました。冒険は一度きりでは終わらず、何度もエンディングを迎えました。カービィの漫画を描いて友達や先生に褒められたりもしました。スーパーデラックスは自分の今までの人生において、最も大切で、最も大好きなゲームです。

その思い出には、仕掛け人・岩田聡が後ろにいたのです。岩田氏がもしHAL研究所を再建していなければ、自分のそんな思い出はなかったのだと思います。

そして、大人になってからの再会。話題作りと言う不純な動機で買った3DS。しばらくは持て余したものの、一度崩した体調が落ち着き始めた頃から、積極的に触るようになりました。そしてそこには元気よくプレゼンをする岩田氏の姿がありました。辛く苦しかったことはたくさんありましたが、岩田氏の紹介するゲームに救われたことが何度かあります。

偉大なクリエーターでありながら、どんなクリエーターよりもユーザーの近くにいた岩田氏。その短くも太い人生は、多くの人に笑顔を届けられた人生だと思います。もちろん、自分も笑顔を頂いたひとりです。

岩田氏は世界中が悲しんでいる様子を銀河の星の彼方から見ていたのでしょうか。もしノヴァに願うなら、岩田聡氏のご冥福と、彼の蒔いた種がまた多くの方を笑顔に出来るようにと伝えたいです。