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2017年4月16日日曜日

『けものフレンズ』という物語を追って

どうも、ノンジャンル人生です。今回はゲームのことは置いておいて、今冬に大ブレイクしたアニメ『けものフレンズ』について書いていこうと思います。あまりアニメの知識はないですが、やはり書いておかねばと思い、キーボードを叩いています。ここまで人気に至るまでの状況を忘備録もかねて整理していこうと思いますので、少し長めですがお付き合いくださいませ。


ニコニコ動画:第一話「さばんなちほー」より

まず前提として、けものフレンズとはなんぞやというところから。このアニメはオリジナルアニメとはちょっと違い、「スマホゲーム」「アニメ」「コミック」などのメディアミックス作品『けものフレンズプロジェクト』の一部として展開されたものです。「女の子の姿になった動物たちが繰り広げる大冒険!」というキャッチコピーの通り、動物をモチーフにした女の子のキャラクターたち=フレンズにスポットを当てています。

多分これだけ聞くと、『艦これ』後に出現したフォロワー作品に思えます。何かを美少女に擬人化させるメディアプロジェクトは、ここ数年の間に大量に出現しては次々と消えていきました。そしてけものフレンズのゲーム版も例外に漏れることなく、ゲーム版がアニメ開始直前にサービスを終了しています。大量に埋もれた作品群のひとつ、それがけものフレンズのスタート地点だったのです。

そんなこんなで始まったけものフレンズですが、やはり最初はほとんど話題になりませんでした。アニメ『けものフレンズ』は少人数体制で制作された3DCGアニメであり、書き込み技術が高いレベルにある同時期のアニメと比べると見劣りする部分が目立ちます。そして第一話は主人公の「サーバル」と「かばん」が出会い、冒険して立ちはだかる敵を倒すという、徹底したテンプレ展開で進行します。会話劇はまるでNHKの子供向け教育アニメのような内容であり、サーバルとの出会いのシーンでは視聴者を置き去りにします。ニコニコ動画で配信された生放送後のアンケートでも、5段階評価の「1:とても良かった」が41%と低めでした。

一見スタートダッシュで躓いた本作でしたが、2話以降になると状況が少しずつ変わってきます。戦闘描写はしばらく控えめとなり、サーバルが子供のようにはしゃいだり褒めたりする様子が「IQを溶かすアニメ」として話題になり始めます。一方明るく憂いのない本編とは裏腹に、エンディングで廃墟の遊園地が映し出されたことで、この物語は「ポストアポカリプス(※)作品なのではないかとSNSで拡散され始めます。

※文明が滅んだ後の世界を描いたジャンル。

その後回が進むに連れ評価が大きく伸び、4話の段階でアンケート評価1が95%を突破します。Twitterではけものフレンズの世界観を考察するタグ(#けものフレンズ考察班)がどんどん拡散され、「このアニメが適当に作られたものじゃないぞ」の噂が広まります。同時に「すごーい」「たのしー」など、あたまをすっからかんにして見られるアニメとして認識され、急速にミーム化され始めました。

けものフレンズは見る人によってまったく違った側面が目に映る作品です。考察要素やIQが溶けるのがすべてではありません。少女達の物語にほっこりする癒やし系作品としての側面、各地方を巡り出会いと別れを繰り返すロードムービーとしての側面、動物達の特徴や習性を学べるドキュメンタリーとしての側面、あるいはネタが乗りやすいアホアニメとしてとしての側面も挙げられます。


すしざんまい」のポーズ

特にニコニコ動画ではコメントでシーンにツッコミを入れる文化が盛んなため、ツッコミ不在の本作とは抜群に相性が良いようです。時事ネタを取り込んでみたり、コメント職人と呼ばれる人々が手の込んだコメントアートを作ったりと、1話を見るたびに違った楽しさを提供してくれます。(まぁしかし、一時期ネタであっちもこっちも伏線だとコメントされていましたが、まさか本当に1話に綿密な伏線が用意されているとは、書き込んだ人達は夢にも思わなかったでしょうね…)

もうひとつ重要な点として、二次創作がしやすいのもけものフレンズの特徴のひとつです。本作の物語は、

①サーバルとかばんとラッキービーストが新しい地方に辿り着く
②その地方に住むフレンズと出会う
③フレンズ達が抱える問題をかばんのアイデアで解決する
④次の地方へ向かう

というシンプルな構造です。内容も、物語を進行しフレンズの特徴を伝えるために必要なものに絞っており、心情などを細かく描写することはありません。世界観に至ってはほとんど説明せず、背景として描かれるものと、会話の中にぽろっと出てくる単語から推測するしかありません。しかし脚本そのものは筋が通っており、毎回ゲストとして出て来るフレンズ達と仲良くなる様子を丁寧に描いているため、結果キャラクターの個性を際立たせつつも、世界観や関係性などを二次創作で埋めるだけの余白を用意するのに成功しています。

例えば最終回に近づく頃になると、サーバルとかばんの別れが迫っていると感づいた創作者達が、彼女達の心境を想像して描いた漫画やイラストを書くようになりました。取り残されたサーバルがかばんを思う漫画や、さばんなちほーでサーバルがひとりかばんの帰りを待つイラストなどが、彼らの手によって生まれました。

しかし実際のアニメで別れを直接示唆する描写は、最終回以外だと10話でのかばんの台詞(=海の外に仲間を探しに行きたい)のみです。一方エンディング曲の二番には別れをほのめかす歌詞があり、そういった限られた情報の中で考察班や創作者達は想像を膨らませていったのです。
けものフレンズ「二次創作に関するガイドライン」

こういった二次創作を受け止める懐の広さを持った本作ですが、例え二次創作が大きく膨れ上がっても本編がまったくブレることなく完結出来たのは、けものフレンズ自体の脚本の完成度が高かったからだと思います。最終回に辿り着く頃には、それまでの物語に伏線が張り巡らされていたことが分かりますし、最終回自体が考察の回答編としての役割を果たしていました。そして広がっていった考察が、けして的外れではなかったことも判明しました。

幾つかの要因が重なって大ヒットしたけものフレンズは、脚本・世界観の構造やネットの巻き込み方など学ぶべきところが非常に多く、視聴したことで得たものは大きかったです。私は途中から視聴し始めた組ですが、すぐにドツボにハマってしまいました。どちらかと言えばアニメ追うのが苦手な自分でも、毎週見るのが楽しみでした。

けものフレンズのアニメは最終回を迎えましたが、新作映像など今後も展開されていくそうなので、今からどんなものが見られるか楽しみです。この作品と出会えて、とても良い時間を過ごせたと思います。

ではでは。

2016年6月21日火曜日

『FINAL FANTASY XII』②:シナリオの問題点を考察する

どうもノンジャンル人生です。今日は前回に続いて『FINAL FANTASY XII』の話をします。今回はシナリオの話ですが、あくまでも個人的見解です。FFXII自体様々な解釈ができるよう作られているとスタッフは言っているので、あんまり鵜呑みにせず、プレイヤーそれぞれが評価を決めるのが正しいと思います。

FFXIIの評価で、ネット上では「シナリオがつまらない」という話を聞くことが多かったです。しかし皆が口々にそう言うものの、具体的な話があまり出てきません。有名な「ヴァンではなくバルフレアが主人公」と「脈絡のない『バルフレアーーー!』の叫び」という話のみが先行し、シナリオの問題点の考察があまりなされていないように感じていました。(個人ブログや掲示板によってはいろいろ考察されていますが、全体の見解は曖昧なままです)

なので今回は、FFXIIのシナリオの特徴を書きつつ、何が本作の物語の持ち味で、何が問題だったのか思うところを書き連ねてゆきます。


①戦記物としてのFINAL FANTASY


FFのシナリオといえば、VIIやXのように星の命運をかける規模の戦いを思い出す人もいるでしょう。誰かが命を投げ出して、大切なものを救うシーンを思い出すかもしれません。

本作ではそういった「FFらしさ」とは違ったスタイルをとっています。舞台は星全土ではなく、ふたつの帝国に挟まれた「小国ダルマスカ」。アルケイディア帝国にも行けますが、あくまでも領土の一部です。イヴァリースという世界でも、かなり狭い範囲がFFXIIの舞台です(マップは広いですが)。

またOPシーンを見て分かる通り、FFXIIはファンタジーの戦争を取り扱っています。チョコボによる騎馬隊、兵器と魔法による集団の攻防、こういったシーンは従来のシリーズではあまり描かれていません。悪しき「帝国」が存在しても、あくまで小さな組織の反撃が描かれる程度です。そのかわり、登場人物が世界に与える影響は非常に大きく、ヒーロー級同士の戦いがそれまでのFFの特徴です。一方FFXIIは個々の役割は大きくなく、登場人物達の活躍も大きな歴史の一幕に過ぎません。名前もない多くの人物が泥臭く戦ってゆき、イヴァリースの歴史を作り上げていっています。

そういった意味では、この物語に主人公はいません。歴史から見ればオンドール公が主人公かも知れませんし、ラーサーこそ主人公かもしれません。そういった中でアーシェ達の冒険に巻き込まれただけの普通の人間である「ヴァン」が主人公なのは、FFXIIの特徴を捉えていると思います。

②政治的駆け引きと陰謀にまみれた物語


FFXIIの物語は主人公パーティだけのものではないことが分かったと思います。実際にプレイすると主人公サイドの話だけでなく、物語の合間合間に帝国ソリドール家やジャッジ内での確執が描かれます。それがだんだんと膨れ上がり、最終的には帝国の暴走へと発展します。統一された悪の組織ではなく、それぞれが自分の思想を持ち、それが織り交ざって物語を生み出しています。

帝国だけではありません。例えばアーシェの協力者となるオンドール公も、アーシェの考えの裏をかきながら行動します。アルケイディア帝国と敵対するロザリア帝国も、ダルマスカの動乱へ秘密裏に加入します。

さらに後半ではある強大な種族達がアーシェ達に力を貸します。ネットでは彼らが諸悪の根源で本来ラスボスのポジションではないかと囁かれていますが、力を貸すだけで物語にはほとんど加入しません。しかしながらアーシェを利用し、自分たちの目的を成そうとします。

こういったように、いろんな人物の思惑が複雑に絡み合い、大きな物語を作り上げています。

・・・あれ?ここまで聞くと、FFらしくはないけど面白そうな物語じゃない?と思う人もいるでしょう。派手さはないが綿密で徹底している、それがFFXIIです。ならば何故、「シナリオが悪い」と言われるのでしょうか?


③滞ってしまったパーティメンバーの「主体性」


前回FFXIIのプロデューサー松野泰己氏が退社したことを書いたと思います。その後サガシリーズの河津秋敏氏がプロデューサーを努め、開発延期を重ねたFFXIIを完成にさせました。シナリオは松野泰己氏が残したプロットを元に書いたとアルティマニアには綴られています。ネットでは根も葉もない噂が錯綜していますが、いちプレイヤーとして見るにFFXIIの物語の質が変わるのはレイスウォール墓所~リヴァイアサン艦隊での決戦後の時点です。それまでは登場人物同士が主体的に動き、感情を露わにしてぶつかり合っていますが、ガリフ以降は誰かに言われて◯◯へ行くという、いわゆる「お使い」的なイベントが増えてゆきます。イベント量もはっきりと減っており、「アルティマニアオメガ」で10章に分けられたシナリオの半分をここまでで消化しています。ページ数で言えば57:60…。しかしダンジョン数・フィールド数は後半の方が明らかに多く、だいたい2/3程度は残っていたはずです。(もしかしてここまでで、何らかの「時間切れ」になってしまったのではないでしょうか…?)

同時に、プレイヤー達とそれを邪魔立てする敵との戦いもかなり少ないです。ガリフ以降自分の意志で戦う敵は神都ブルオミシェイス・ドラクロア研究所・大灯台頂上・最終決戦…これだけです。後はほとんどモンスターなので、シナリオを盛り上げるために必要な「ぶつかり合い」が全く足りません。

シナリオで最も大切な物は「葛藤」だと言われています。これは心の中で悩むことではなく、主人公が目的を達成しようとした時に障害が現れることを指します。主人公達が能動的に動くも問題が発生し、それをどうにか解決しようとすることで、物語が観客の心を惹きつけるのです。しかしFFXIIの後半は主人公たちが受動的であり、彼らを邪魔立てする存在も僅かです。それゆえ見る側を揺さぶること無く物語が終わってしまいます。

この結果、お使いを頼まれ大きなイベントの用意されていないダンジョンをいくつも渡って、ようやく到達した場所で、またお使いを頼まれるという、致命的な問題が発生します。シドの大立ち回りや大灯台頂上のせめぎ合いなど、本来であれば密度の高いシナリオの部分もあるのに、後半のイベントの足りなさがそれを薄めてしまっています。

実はこの問題、プレイ方法によっては解決することが出来ます。それはプレイヤーが主体的に探索やモブハントをすることです。本作は本筋に関わらない一般キャラクターの台詞までしっかりと練られているので、寄り道をすればするほど物語が充実してゆく構造になっています。キャラクター達に足りない主体性をプレイヤーが自らの冒険で補うことでFFXIIは完成してゆくのです。本作の海外評価の高さの要因はこれではないでしょうか?実際自分も二周目にそういった遊び方をして時は、FFXIIの評価が逆転しました。ただ、それは多くの人がFFに望んだものではありませんでした(どちらかと言えば、国内ではその役割はドラクエがそれを担っています)。


④個人的にこうした方が良かったと思うこと


FFXIIでは重要人物なのに見せ場が足りずに終わってしまったキャラクターが何人かいます。序盤にライバル敵ポジションで登場したのに、その後はモブ扱いで退場してしまった「バッガモナン一味」。帝国の象徴であるのに、結局主人公達と戦わなかったジャッジマスターの「ドレイス」「ザルガバース」。ロザリア帝国唯一の重要人物であるのに、出番がたった二箇所しかない「アルシド」。そしてゲームロゴになっているのにもかかわらず、政治的駆け引きによって雁字搦めになってしまったジャッジマスターの「ガブラス」

特にガブラスはヴァン、アーシェ、バッシュに因縁が深い人物であり、物語の引き金&幕引きの役目を与えられた人物です。FFXIIの中核にいる人物であるはずなのに、「犬」扱いされて物語の外にはじき出されてしまっています。これほど勿体無いことはありません。例えば終盤大灯台でガブラスがヴァンとアーシェのヘイトを貯めるシーンがあります。あれを早い段階で用意出来たのならば、彼らの心境をもっと揺さぶれたはずです。

本来活躍するはずだった彼らに役目を与えることで、物語は盛り上がりを得られたのではないか…と思ってしまいます。具体的に挙げるならば、神都でガブラスがラーサーを連れて帰る時点でヴァン達との初顔合わせ、帝都までの旅路でバッガモナンとの再戦、主人公達を「測る」ためにザルガバースが単独で戦いを挑むシーンはあっても良かったと思います。案を考え始めるときりがありませんので、とりあえずこんなところで。

例の種族関係も、もう少し違った役割があっても良かった気も。最終的にアーシェは彼らに反旗を翻したので、その後敵対関係になっても道筋的にはおかしくないでしょう。もしくは帝国側についた「ヴェーネス」をより恐ろしげに描かれていても良かったのかもしれません(どうしても主体がヴェイン&シド>ヴェーネスだったので)。ただ帝国とダルマスカの戦いがメインであるため、扱いが難しそうです。

一方主人公であるヴァンがヒーロー然していたら良かったとは個人的には思えません。彼がもっと自分の意志で動いて物語を動かしてゆく必要はありますが、もし彼がレイスウォールの血を引き継いでいる設定だとしても、本筋の薄さの解消には繋がらないはずです。また、そういう風に従来のFFに近づけても、彼やイヴァリースの持ち味を弱めてしまう可能性もあります。

(あ、「バルフレアー!」はよく分かんないですw 初回は大して気にしませんでしたし、あれには深い意味はなさそうです)


はぁ…疲れた。長々と書いてしまった。ズラーッと書いてきましたが、別に自由気ままな見解ですので、初プレイの人はあまり真に受けず、自分なりに楽しんでください。…まぁぶっちゃけFFXIIの大きな魅力はシナリオ以外のところにあるので、話を追うことをメインとしなければ楽しめるのではないでしょうか?リマスター版は追加シナリオを今のところ予定していないそうですが、発売日が来年のいつ頃か決まってないこと、まだ開発中であるそうなので、僅かな奇跡を期待しつつ、次の情報を待ちたいと思います。(FFXIIの膨大な情報量を持ってして、整合性がとれるかどうかの問題からは目を背けつつ…)

ではでは。

2017.7追記:なかった\(^o^)/

2016年1月11日月曜日

考察!なぜRPGの主人公の村は焼かれるのか?

※投稿日がおかしくなっていますが、正式な記事の公開日は2016年1月30日です。

どうもノンジャンル人生です。様々な方の「THE GOLDEN FRONTIERS:序幕」プレイ報告をお聞きし、大変感謝しています。本編の製作も励んでいこうと思います。

そういえば去年new3DSLLを購入しました。ずっとやりたかった「ゼノブレイド」の携帯機版をプレイ中です。こりゃ楽しいですね。でかいやつに挑んで死にまくり、高い所から落下して死にまくっています。あとは「モンハンクロス」、初モンハンですが楽しいです!クック先生50体狩りました。


で、今回は個人的にずっと気になっていた話題をしようと思います。それは「村焼き」です!

・・・はぁ?
っという声が聞こえてきそうですが、もう少しお付き合いください(^^;)

ファンタジーの物語では、平和な村が敵対する者たちによって焼き払われるという展開が多く見受けられます。ある時は巨大な帝国の陰謀で、ある時はモンスターの襲撃で、小さな村に火を付けられ、跡形も残らないという展開がなされます。

日本のRPGにおいても例外でなく、特に主人公が暮らしていた村が焼き払われ、それをきっかけに冒険へ旅立つケースが多々あります。例えば有名なRPGだと(ネタバレにより反転!)『ドラゴンクエストⅣ』『テイルズオブファンタジア』『ゼノギアス』が挙げられますね。容赦なく焼かれる(または焼かれた後の)村を見て、幼少期にトラウマになった人もいるかと思います。

ではなぜRPGの主人公の村はわざわざ焼かれなくてはいけないのでしょうか?この謎を、シナリオの観点から考察してみようかなと思います。(あくまでも一考察なので、これが答えだというものではないですが)

①ピクサーのシナリオの法則から見る、村が焼かれる意義

…ピクサーと村焼き。なんかこの組み合わせ、業が深い感じがしますね。もちろんピクサー作品で村焼きが行われたという話ではないですよ(全部は見てないので、実は行われているかもしれませんが)。お伝えしたいのは、ピクサーが提唱するシナリオの書き方を見ると、「村焼き」は物語の進め方として合理的ではないかということです。

まずはこちらの記事をどうぞ。

はてなブログ:Gamers, Be Ambitious様
ピクサーの「脚本の書き方講座」が素晴らしかった

いかがでしょうか?この記事でピクサーはシナリオにおいて、

「主人公には弱点がある」
「嵐雲を起こす」
「大切なものを失う」
「主人公に屈辱を与える」
「主人公を岐路に立たせる」

ことの大切さを語っています。物語の発端において事件を起こすのは、シナリオを書く上での鉄則となっています。その中で主人公が大切なものを失うということは、失ったものを取り戻すという、主人公が行動する強い動機付けになるのです。

主人公の村が焼かれる展開も、この法則にのっとって進んでゆきます。村で平和で暮らす主人公は、けして心身が強い人物ではありません。外敵からの襲撃により、なすすべなく自分の故郷を焼かれて失い、主人公は失望します。居場所を失い、彼は否応なしに旅立つかどうかの選択に立たされるのです。

一見ただのお約束の展開のように思える「村焼き」ですが、実はシナリオの法則をしっかり守っています。シナリオの法則は、見る側を惹きつけ、序盤で飽きさせないためのメゾットでもあります。また、物語の基礎がしっかりしているため破錠しにくく、書く側にとっても扱いやすいというメリットもあります。

ただし、ピクサーのシナリオと村焼きの展開では、一点大きな違いがあります。それは焼かれた村は取り戻すことは出来ないということです。そうなると失ったものを取り戻すという動機付けが出来ないので、主人公の動機は別のものに変わります。例えば、村が焼かれた時に攫わせた人や物を取り戻すことや、村を焼いた人物や組織への復讐することに移行するのです。目的を見つけるまで、主人公が放浪するパターンもあります。

最終的には平和を取り戻すことが大目標なので、広義ではこの法則からは外れてはいません。しかし完全に失われてしまうものがあることで、冒頭から強烈なインパクトをもたらすことが出来ます。こういった面を考えると、物語冒頭で村が焼かれることが、いかに合理的であるかが再確認できますね。

②村が焼かれることで起こる、強制的な自立

日本のRPGと欧米のファンタジーRPGと比較すると、日本では18歳に満たない少年を主人公になるケースが大多数を占めています。これはRPGが最もよく売れていた時期に、メーカーがRPGを小中高生向けて販売展開したことが大きいのだと思います。主人公をプレイヤーの年齢に合わせることで、より感情移入させるのが狙いだったのでしょう(現在だとプレイヤーの年齢幅が広がって、あまり意味はなくなったと思いますけど)

しかし経済的、または精神的に自立していない少年が、理由もなく冒険し始めるのは不自然です。ファンタジーRPGの世界では一歩外に出ればモンスターに襲われるため、意味もなく旅をするのは危険でしょう。

さて、そういった主人公を冒険に誘わせるにはどうすればいいか。その最も手っ取り早い方法は、主人公を保護する居場所を取っ払うことです!経済を支援してくれる家、自分を慕ってくれる友人、外敵から守ってくれる街、そういったものがなくなった時、主人公は自分の身を自分で守らなければいけません。

村が焼かれると、そういったものを一気に取っ払うことが出来ます。全てを焼きはらうことも出来ますが、あえて主人公以外の生き残りを設定することで、より綿密なドラマを生み出すことも出来ます。

一見強引な方法かもしれませんが、①の法則との合致により、意外なほど説得力が出ます。また、この方法だと村を出たことのない少年の視点から物語を描けるので、プレイヤーと同じ視点で世界観を見せられるメリットもあります。

③「炎」という存在の恐ろしさを見せつけるための村焼き

RPGにおいてたまに問題となるのは、魔法を手軽に使えすぎて、魔法の価値が下がるということです。例えば現実の炎はちょっと触れただけで火傷になり、治癒には長い時間がかかります。しかしゲームの中だと分かりやすく強さを表現するために、強力な呪文を数秒のコマンド決定で実行することが出来ます。もちろん回復も数秒です。こういった風に手間いらずで魔法を使えてしまうと、プレイヤーに「魔法はダメージを与えるための存在」として認識させてしまう可能性があります。

そういった時の対処法として、イベントで魔法の威力を表現するという手があります。例えば、主人公がお使いで村を離れている間、村が魔法使いに襲われて焼き払われたとしたら。普段はエフェクトとダメージでしかない炎が、イベントとして使われることで恐ろしいものとして表現されるのです。

これは他の属性魔法でも表現できますが、やはり炎は被害の大きさと赤という強い色彩によって大きなインパクトを与えることが出来ます。

例え火を放った方法が魔法でなくても(兵器や放火など)、炎を強く見せることで、相対的に火の魔法の価値が上がります。また、火の魔法の価値を高めることで、他の同威力な魔法の価値も高めることが出来るのです。

~~~~~~~~~~
いかがだったでしょうか?村焼きをただの演出表現のパターンと捉える方もいらっしゃるでしょうが、その演出にも物語に与える大きな役割があることが分かります(もちろん一考察ですが)。RPGでは、「村を焼かれる」というきっかけから深いドラマが生まれ、名作と呼ばれる作品が次々誕生しました。あくまで今回の考察は「主人公の村」に絞りましたが、主人公に限定しなくても沢山の「村焼き」を行った名作が発見できます。(ネタバレにより反転!)RPGの村焼きで忘れていけないのはファイナルファンタジーⅣと幻想水滸伝Ⅱでしょう。

これを機に、あなたもぜひ村を焼いてみませんか?あなたもRPGのドラマを深く考察してみませんか?きっと新たな発見があるはずです。



2015年4月27日月曜日

脚本をはじめて書いてみてわかったこと

どうも、ノンジャンル人生です。
自分の中でニンジャスレイヤーブームが到来しています。まるで電子ドラッグかのごとくアニメ毎日見ています。アレ恐ろしいっすね。

で、今日のお話は脚本について。昨日友人に依頼されて作ったヒーロー物の脚本が仮完成しました。構想は去年くらいからはじめていましたが、執筆し始めたのは今月に入ってから。プロットは早めに出来上がっていたんですが、なかなか書き始めるまで時間がかかってしまいました。まぁ締め切りはなかったんで、まだまだのんびりやれたんですが。きっとこれから修正はいると思うんで、どぎまぎしながら感想待っています。

以前書いたとおり、シナリオの勉強を半年ほどしてから脚本を書きました。これが人生初の脚本です。実際に触ってみて、気づいたことをつらつらと書き進めてみたいと思います。

※ちなみに今回の脚本の内容は今ブログでは取り上げません。一応別名義になるかもしれないので。


【書くためには多くの事前準備が必要】
まずはこれ。小説家の中には書き出しからどんどん書いていく人がいると思いますが、脚本だとまず無理です。今回の場合友人が企画原案なので、彼の意図を汲み取りながら描き上げなくてはいけません。そのため、キャラクターの設定や世界観、詳細なプロットを何回も話し合いました。僕の場合ヒーロー物の知識も乏しいので、最低限の知識を得る必要もありました。アマチュアふたりだからまだ簡単なのでしょうが、実際には演技や美術、尺やスポンサーの制約など、様々な要素を考慮していかなくてはいけません。それらが増えるたび、準備すべきものは多くなっていきます。思いつきの話では必ず頓挫します。書き始める前からが、脚本の仕事なのだと思います。


【アドリブが大事】
思いつきの話は頓挫すると言いましたが、準備して一度書き始めたら、むしろある程度アドリブが求められてきます。書いている途中ちょくちょく筆が止まってしまうことがあります。原因がわからない。もやもやする。そういうときはとりあえず適当でもいいから軽く続きを書き始めるのです。すると、意外と物語が進み、いつのまにかひっかかっていた問題が解決していたりします。もちろんおおまかな部分はプロットに沿ってですが、端々は自由に書いてしまっていいのだと感じました。そうしていくうちに登場人物の個性が強まったり、物語の意外な一面が見えてきたりするのです。大切なのは柔軟性であり、状況に対応出来る『アドリブ力』なのでしょう。ただ、それでも書けない場合、プロットの方に問題があるかも・・・


【栄養となる物語があるといい】
一生懸命書くことはいいことですが、書き手は人間です。書いていくうちにだんだんモチベーションが下がります。そういうとき、美味しいものを食べたりスポーツをしたりしてストレスを解消してもいいでしょうが、何よりも書き手が物語を見て感動することが大切だと思いました。感動は栄養です。栄養は筆を進ませる力になります。僕の場合だと、あるアニメを見てツボにはまったことが書く原動力になりました。見る物語は、完全に趣味でいいと思います。映画、小説、ドラマ、アニメ、ゲーム、どのジャンルでもいいです。自分を突き動かせさえできればいいんです。脚本を書くには別の物語をいくつか参考にする必要がありますが、栄養となる物語はこれとは別であって構わないと思います。とにかく完全に趣味。好きこそ最大のエネルギーです。


まぁ、とりあえずこんな感じです。10のシークエンスからなる脚本を書いたのですが、クライマックスのシークエンス9で登場人物たちを激しくぶつけあっているとき、脚本ってこんなにおもしろいものなんだと実感しました。とは言えまだずぶの素人です。次の作品に取り掛かるうちに見えてくるものもあるでしょう。これからもなにか気づいたことがあればブログに書いていこうと思います。

2015年3月17日火曜日

シナリオ・脚本の基礎を学ぶ:書くために押さえておくべき技術とは?

どうも、ノンジャンル人生です。
ブログに引っ越しと同時期に、自宅改修のための引っ越しをしました。
つかれました。


えーと、今日はシナリオ・脚本の話でもしましょうか。
去年の10月くらいから、シナリオ・脚本の書籍読みまくっています。物語を作りたい欲求とは裏腹に、筆がまるっきり進まなかったからです。それで頭を切り替え、知識を得ることにしました。


とは言うものの、本屋にはシナリオ関連書籍はあまり置いてなく、かといって内容を確認できない本をネットで注文するのも怖いので(1冊の単価が高めなんで…)、図書館にあった本を片っ端から借りました。

結果、いろいろな知識を得ることができました。特に目からウロコだったことは、シナリオは「才能」ではなく「技術」によって書くものだということです。読んだ書籍の多くでは、シナリオは才能があればかけることを否定しています。訓練、または知識によって習得していくものだと書かれているのです。

シナリオの技術書というものは、だいたい2種類に分かれています。ひとつは、どのようにドラマを作るかについて書かれた本。もうひとつは、シナリオ全体の構成をどう作るかについて書かれた本。片方に特化しているものもあれば、両方について書かれているものもあります。

まず、ドラマについて。シナリオで最も重要なことは、「葛藤」です。これはほぼすべての本で書かれていました。つまり、物語の主人公や登場人物に障害が立ちふさがり、それと対立したり解決しようとすることが、話を進行し、面白くする最大の要素なのです。なんの問題もなく主人公に目的を達成させては、物語が平坦になってしまいます。読み手や観客をワクワクドキドキさせるためには、障害による抑圧と、決着による開放感が必要です。書籍では、葛藤を起こすためにいかに登場人を動かすかが書かれています。

次に構成。シナリオは、起承転結、または三部構成となっています。このふたつ、ほぼ一緒のものです。
展開としては、
①主人公の現在の状況が描かれる。いつのどこが舞台なのか、どんな人々がまわりにいるのか、主人公はどんな境遇にあるのかが分かる。
②主人公に事件が起きる。これによって問題が発生し、主人公の取り巻く状況が大きく変わる。
③主人公は問題を解決するため行動し、決着がつく。

以上です。②の部分で主人公は葛藤を繰り返し、クライマックスに向かって目的達成の欲求を深めてゆきます。そして決着がつくことで、観客は余韻に浸ることができるのです。

簡単まとめるとこんな感じでしょうか。あくまでも読んだ一部をピックアップして自分用にまとめたものなので、シナリオ・脚本の勉強をし始める方は、ぜひ自分で本を読むことをオススメします。

個人的に役に立った書籍は
「シナリオの基礎技術」
映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術

どちらも有名な書籍ですが、入門編ということでわかりやすいです。個人的にはシド・フィールドの方を先に読むと、シナリオの構造の全体が俯瞰でき、シナリオの基礎技術を読んだときに深く理解できました。

他にも学んだことは多く、紹介しきれませんね。
今後も色々書いていこうと思うので、よろしくお願いします。